プロ野球のテレビ中継が黄金期を迎えた1980年代。ブラウン管に映し出されていたのは、もちろんプロ野球の試合だった。お茶の間で、あるいは球場で、手に汗にぎって見守った名勝負の数々を再現する。 80年代オールスター最高の名勝負
8者連続三振を奪うも、9人目の大石に二ゴロを打たれた江川
近年は全2試合が定着しつつあるオールスター。2005年に交流戦が導入されて以来、両リーグの選手が試合で激突する光景は珍しくなくなったが、1980年代は、開幕への調整の場所でもあるオープン戦を除き、オールスター、そして日本シリーズだけでしか、彼らの“真剣勝負”を見ることができなかった。
日本シリーズは強いチームのみが出場できる頂上決戦。80年代は優勝には無縁のチームも複数あり、彼らのファンはオールスターだけでしか彼らが別リーグの選手と対戦する場面を見られなかった。12種類のユニフォームが入り乱れるのは現在も同様で、“夢の球宴”であることは変わらないが、同じリーグに多くのライバル対決があった時代にあって、ライバルたちが同じチームで違う敵に立ち向かっていく姿は、その是非はともかく、夢の“濃度”が違った気がする。そんな80年代のオールスターにあって、最大のドラマを演じたのはやはり“怪物”
江川卓(
巨人)だった。
オールスターはペナントレースや日本シリーズでの試合と違って、いくつもの特別な規定が存在する。そのうちの1つが、「1人の投手は最長でも3イニングまでしか投げられない」というもの。82年の第2戦(
西武)でセ・リーグの
斉藤明夫(大洋)が7回から救援登板、試合が延長に突入したことで時間切れ引き分けまで5イニングを投げたことがあったが、これは延長戦が例外とされたためで、例外中の例外だ。
投手の連続奪三振記録は、71年にセ・リーグの
江夏豊(
阪神)が第1戦(西宮)で9連続を記録。基本的には、これが破りようのない最上の記録だ。これに並ぼうとした(あるいは、更新しようとした)のが84年の第3戦(ナゴヤ)、4回表から2番手としてマウンドに上がった江川だった。
まず、江川は
福本豊(阪急)、
簑田浩二(阪急)を連続で見逃し三振に斬って取ると、続く
ブーマー(阪急)を空振り三振。5回表には
栗橋茂(近鉄)、
落合博満(
ロッテ)、
石毛宏典(西武)、6回表には
伊東勤(西武)、代打のクルーズ(
日本ハム)と、ブーマーから6者連続で空振り三振を奪う。迎えた9人目の打者は
大石大二郎(近鉄)。しぶとい打撃に定評がある巧打者だ。それでも江川は2球ストレートで見逃しを取り、2ストライクに。快挙に並ぶまで、あと1球。その3球目、捕手の
中尾孝義(
中日)が出したサインに首を振った江川が選んだボールとは……。
原と掛布の珍しい三遊間も
浮き上がるような快速球を最大の武器とする江川だったが、投じたのは外角へのカーブだった。大石はバットを投げたすようにして当てて二ゴロ。快挙はならなかったが、カーブで振り逃げにして、10連続を狙ったという話もある。もちろん真相は不明だ。
なお、江川のライバルで、「四番・サード」で先発していた
掛布雅之(阪神)は6回裏に決勝打も放ったが、二死後、江川のチームメートでもある
原辰徳(巨人)が代打で登場して、そのまま三塁の守備に就いたため、掛布が遊撃を守る珍しい場面も見られた。
1984年7月24日
オールスター第3戦(ナゴヤ)
パ・リーグ 010 000 000 1
セ・リーグ 000 101 02X 4
[勝]江川(1勝0敗0S)
[敗]鈴木康(1勝1敗0S)
[本塁打]
(パ・リーグ)ブーマー2号
(セ・リーグ)中畑2号
写真=BBM