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石井義人(元西武ほか)のセカンドキャリアは“女子プロ野球”

 

京都雅チームのユニフォームに身を包んだ石井義人


 7月15日に神宮球場で行われた、『花鈴のマウンド』presents女子プロ野球オールスターゲームは、女子プロ野球3チームのメンバーを作品内に登場する架空の高校・星桜高校チームと京都雅高校チームに分けて行われた。0対2で敗れたが、京都雅チームを率いたのが、元プロ野球選手の石井義人氏だ。

 石井氏は浦和学院高から1997年にドラフト4位で横浜に入団。一軍ではなかなか出番を得られなかったが、2002年オフにトレードで西武に移籍すると才能が開花。04年には58試合に出場し、二塁手として出番をつかんだ。翌05年には125試合に出場。初めて規定打席に到達し、打率も.312と好成績を残した。その後もシュアな打撃で存在感を示し始めていたが、12試合の出場に終わった11年オフに、戦力外通告を受けた。しかし、トライアウトに参加した石井氏に、巨人が声を掛ける。12年は代打の切り札として優勝に貢献。だが13、14年は思うような結果を残せず14年オフに再び戦力外通告を受けた。この年限りで現役を引退。翌15年から、BCリーグ武蔵で打撃コーチを務めた。

 そんな石井氏が女子プロ野球に出合ったのは、13年のこと。西武時代、二軍監督を務めていた片平晋作氏が、イースト・アストライア(埼玉アストライアの前身)の監督を務めていたことがきっかけだった。「そこで初めて女子プロ野球もあるんだなということを知った」という石井氏だが、16年の秋ごろ、本格的に女子プロ野球に関わる機会が訪れる。

 当時はまだBCリーグのコーチをしていた石井氏を、片平氏が「ちょっと手伝え」と誘ったという。「そのときは軟式(佐藤病院)を指導していて、その合間に女子野球の指導という感じでした。2週間、いや1週間くらいかな。本当に短期間で、ただの手伝いですよ」と石井氏は笑うが、その縁もあって19年からは女子プロ野球専任で、野手総合打撃コーチに就任。18年1月にすい臓ガンで亡くなられた片平氏の後を受けるように、女子プロ野球の指導者となった。肩書は野手総合打撃コーチだが、巡回コーチに近い。京都フローラ、愛知ディオーネ、埼玉アストライア、そして育成チームのレイアと、女子プロ野球の全チームを回りながら指導している。

 女子野球の魅力を問うと、「男子野球にないスピードという魅力があります」と石井氏。男子と比べるとパワーで劣っていると思われがちだが、女子にはそれを補うだけのスピードがある。

「男子と同じ塁間で投げられますし、打撃は金属バットを使っていて打球も速いですから、守備もすごく難しい思います。(世間が思っている以上に)女子プロ野球のレベルは高いです。打つのも守るのもそうですが、投げるほうも128キロという最速が出ていますので、これから130キロというのが出てくるんじゃないかなという期待もあります。そういう面白さは見ないと分からないと思いますので、とにかくいろんな人に見に来ていただきたいですね」

 今年で10年目を迎える女子プロ野球だが、観客動員数が伸び悩み、赤字続きでリーグ存続も危ぶまれているという。「野球の発展に貢献していきたい」と熱っぽく語った石井氏。女子プロ野球の指導者として、そのレベルを上げることに尽力しながら、女子野球ファンの拡大、プレーヤーの裾野を広げるために、日々奮闘している。


取材・文=依田真衣子 写真=栗山尚久
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