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週べ60周年記念

大下弘を心配する苅田久徳/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

ホームランベル鳴り響く


表紙は左から巨人王貞治長嶋茂雄


 今回は『1968年4月22日号』。定価は60円。

 1968年4月6日、4連覇を狙う巨人の開幕戦。試合は大洋に敗れたが、王貞治、長嶋茂雄がアベックホームラン。後楽園名物の噴水とともに、この年からスコアボードの両脇に設置されたカネボウの「ホームランベル」が鳴り響いた。

 開幕投手は大ベテランの金田正一だったが、土井淳に満塁弾を浴び、KO。
 金田の開幕投手はベロビーチ帰りの堀内恒夫の肩痛もあったようだが、一番悔しがったのは城之内邦雄。なんとか開幕投手と思っていた。

 2日の日の多摩川では、3人が投げ込むシーンがあったが、金田は軽く投げただけですぐやめてしまい、
「あの若手の2人、城之内と堀内がいれば、俺なんか用はないんだ」
 と帰った。
 一方、城之内は200球から300球投げ込み、記者たちに金田の言葉を聞くと、
「悔しかったら1シーズン一軍におってみろ」
 と吐き捨てるように言ったという。
 寡黙な男だが、入団から6年連続17勝以上、200イニング以上登板。それでもエース扱いされない不満があったのだろうか(愛称はエースのジョーだが)。

 東映・大下弘監督は開幕戦のスタメンを前日に発表。コーチはそれを知らず、驚いていたという。
 大下らしい奔放野球だが、それにかつての遊びの師匠・苅田久徳が苦言を呈した記事もあった。

 やや髪が寂しくなった大下はかつらをつけ出したらしいが、苅田は、
「かつらなどかぶって若返ろうとするよりも、43歳という重みをそのまま出して、公式戦が始まったら、遠目に選手をにらんでいることが大事だ。
 若返って選手の中に飛び込んでいって、女にもてることでも陣頭に立とうなんて考えていると、とんでもないことになる」
 と最初はひやかしのような雰囲気。
 だが、途中からは、

「大下は監督として選手の立場に立って、契約の助言をしてやったり、キャンプでは待遇を考えてもらったり、担当記者におごってやったり、いろいろやっていたようだ。

 大下はお人よしで調子が良すぎるところがある。人に頼まれると嫌とは言えない性分だし、また自分から進んで人の世話をする。

 しかし手に負えないことも出てくる。約束しておいて手に負えないとほおり出すと、結果としてウソを言ったことになる。

 選手との約束事もあるだろうが、口を慎むことも、これからは大事なことだ。

 試合に負ければつい愚痴が出る。選手の側から不平や不満が出てくるだろう。

 そういうときになって、本当に選手から信頼されるのはうまい口先ではなくて、監督としての毅然とした態度、自信(初出から修正)をもって選手に接していく態度だ。

 うまいことをいい、選手におごれば、そのときは喜ぶかもしれんが、そんなことが続くものでもないし、全部の選手におごっていては身もカネももたない」

 となっていく。大下のことが本当に心配なのだろう。

 東映はユニフォームも新調。ユニフォームのマークを青、赤、白の三色にし、胸マークも青で赤の縁取り。ストッキングも青地に赤と白のストライプとなった。
 もちろん、大下監督の現役時代の“青バット”をモチーフにしたものだった。大下監督は青い手袋をつけ、コーチスボックスに立つ徹底ぶりだ。
 これらは大下ではなく、大川ジュニアの発案だった。

 では、また月曜に。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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