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週べ60周年記念

広岡達朗はぶれない/週ベ回顧

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

川上はなぜ飛行機が嫌いなのか


表紙は近鉄・土井正博



 今回は『1968年6月10日号』。定価は60円。

 巨人がまたも独走気味。解説者・広岡達朗も「果たして巨人の独走は可能でしょうか」と聞かれることが多くなり、その際、こう答えていたという。
「巨人は楽勝ですよ。数字的に大差がつくか、小差で競り合うかは分からないが、結局は巨人がペナントをつかみます」

 質問をした人間はみな不満の表情を浮かべる。
 広岡は言う。

「多くの人が、私を巨人の批判者、アンチ巨人の解説者と見ていることからきている。
 しかし逆にいえば、私にとってはそのような色メガネで見られることが意外であり、不満でもある。いまの私は単にネット裏からプロ野球を見つめ、研究している一人の男に過ぎないのだから」
 この連載の読者の方なら思うだろう。「あれだけ言って、よくまあ」と。

 原稿は正論とは思う。ただ、特に川上哲治監督に対し、必ず毒が入るのが少し気になる(そう見えるだけかもしれないが)。
 例えば、
「巨人の選手の扱い方を、私は部品の寄せ集めという見方をしている。極端に言って王(貞治)、長嶋(茂雄)を除けば、ほかの選手はワンケース、ワンケースで働いているというわけである。だからその場、その場で活躍し、全力を出したといっても、部分部分の働きである」
 部品というのは乱暴な気もするが、確かにV9巨人の特徴をとらえている。ただ、この後、こう続く。
「それで勝利を得たときもっとも称賛されるのは監督ということになり、納得いってご機嫌なのも監督だけではないか。
 これは真のプロとしては好ましからざる姿ではないか」
 
 川上監督の苦虫をかみつぶしたような顔が思い浮かぶ。

 川上監督は、大の飛行機嫌い。十勝沖地震の翌日にも、
「地震も怖いが飛行機も怖いよ。地震、飛行機、火事、オヤジだな」
 と言っていた。
 なぜここまで飛行機嫌いになったのかが書いてあった。

 きっかけは1951年の春、杉下茂中日)、藤村冨美男(阪神)、小鶴誠(松竹)とサンフランシスコ・シールズのキャンプに参加した際のことだ。
 川上は語る。
「当時はプロペラ機なんだ。出発便がよく揺れてね。気持ち悪くなったころに、英語のアナウンスがあったが、さっぱり分からない。藤村が、まもなく天候が安定するからご安心くださいと言っているんだ、というから、その気になっていたが、ふと窓から外を見たら驚いた。片方のプロペラが回っていないんだ。そのときのアナウンスも羽田に引き返します、というものだったらしい。無事着地できたからいいが、あれ以来、必要のない限り、絶対に飛行機には乗らないことにした」
 ちなみに機体整備のため出発が延期となり、川上は家に一度戻ったが、夫人は開口一番こういったそうだ。
「あら、ほんとにあなたなの。よく足を見せて」
 落語のような話だ。

 では、またあした。
 
<次回に続く>

写真=BBM
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