昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 完全にほされた桑田武
今回は『1968年11月4日増大号』。定価は70円。
巨人が阪急を下し、史上初の4年連続日本一を達成。MVPは6試合連続安打、6試合連続得点などをマークした新人の
高田繁だった。
これによりストーブリーグも本格化。
解説者をしていた
水原茂、南海監督・
鶴岡一人と水面下で次期監督就任交渉を続けてきた
中日だが、水原にほぼ決まった。二股を知った鶴岡が「水原さんとどちらかというなら俺は降りる」と断ったからだった。
ただ、鶴岡の南海退団もほぼ既定事実。当初は東京入りと言われていたが、正直、永田雅一オーナーがそれどころではない状況になっていた。
ペプシコーラとの業務提携だ。球団経営が危機的状況にある永田は、ユニフォームの背中にペプシの広告を入れ、まとまったカネをもらおうと思っていたが、ペプシ側は「どうせ出資するなら、ペプシ・オリオンズに」と言っていたらしい。
一方、
大下弘の後、
飯島滋弥が代理監督をしていた東映は、
松木謙治郎がつくことになった。
大洋の四番打者だった
桑田武が68年は
別当薫監督の下、完全にほされていた。相性なのか何なのか。3割以上打っていても「気力がない。やる気がないのだろう」と二軍落ちさせたことがある。
以前も書いたが、もう少し後で“主役”となる選手たちの身辺が何だかバタバタし出しているのは確か。
中日・
小川健太郎にも移籍話があった。成績もそうだが、私生活のバクチ好きが問題になっていたらしい。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM