ドラフト史上に刻まれた数々の事件と、そこで生まれた「言葉」を紹介。運命に翻弄された男たちは、何を思い、何を語ったか。当時の写真と事件の背景とともに、振り返ってみたい。 1989年・野茂英雄
8球団が競合した野茂(左)は近鉄が交渉権を獲得(右は仰木監督)
“パンチョ”のニックネームで知られたパ・リーグ広報部長(当時)の伊東一雄氏が、その名を読み上げること8度。1989年、アマチュア最強右腕に、史上最多となる8球団が1位指名を行った。
ドラフト前から希望球団を口にすることなく、どこに決まってもプロ入りすると語っていた野茂だけに、人気が集まることは想定されていたが、ここまで重なるとは、当の本人もまったく想像できなかったようだ。
幸運は、記録となった8番目の球団である近鉄に訪れ、
仰木彬監督はドラフト会議翌日に東京から大阪に駆けつけている。この6年後にメジャーで活躍するパイオニアとなった男は、ドラフトでも前人未到の記録を打ち立てた。
写真=BBM