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糸井の次のスターは? コンバートがきっかけで大成した選手

 

 阪神打線を牽引する糸井嘉男は、投手として入団した後に野手にコンバートされた選手だ。選手の守備位置を変更する「コンバート」は、選手の新しい可能性を見つけるために行われるが、糸井のように大成するケースはそう多くない。では、糸井のほかにはどんな選手が、投手から野手へのコンバートをきっかけに大きく成長したのかご存じだろうか?

あの名選手も投手から野手に転向


阪神・糸井嘉男


 2019年シーズンをもって引退したロッテ福浦和也も、投手として入団したものの、プロ1年目のシーズン中に野手にコンバートされた選手だ。コンバートされた後は二軍で地道に研鑽(けんさん)を重ね、プロ4年目に一軍に昇格してレギュラーに定着。その後はロッテ一筋で活躍し、現役引退前年の2018年にチーム史上3人目の2000安打を達成した。

横浜・石井琢朗


 福浦と同様に投手から野手にコンバートされ、2000安打を達成した選手としては、横浜で活躍した石井琢朗が挙げられる。投手として甲子園にも出場した石井は、1989年にドラフト外で横浜に入団するが、3年間でわずか1勝と活躍できなかった。そこで1991年オフに自ら野手への転向を申し出て、当時の須藤豊監督がこれを承認。すると野手転向2年目から最多盗塁、ゴールデン・グラブ受賞とタイトルを獲得する活躍を見せた。


 2004年にセ・リーグの首位打者と最多安打のタイトルを獲得し、「赤ゴジラ」の愛称で知られる嶋重宣も、投手から野手にコンバートされた選手だ。高校時代には投手として3度甲子園に出場し日本代表にも選出されたが、プロでは勝利を挙げることができずに1999年に野手に転向した。その後数年間は出場のチャンスが巡ってこなかったが、金本知憲がFA移籍したことをきっかけに台頭。いきなり首位打者と最多安打のタイトルを獲得した。

 現役選手では、ヤクルト雄平西武木村文紀が投手から野手にコンバートされたことをきっかけに大成した選手だ。「高校No.1左腕」と高い評価を受けてヤクルトに入団した雄平は、なかなか結果を出せずにプロ7年目に野手に転向。2014年にはレギュラーに定着し、以降はヤクルトの主軸として活躍。2019年シーズンも131試合に出場して打率.273、12本塁打、56打点の成績を残している。

 西武の木村は次代を担う逸材と期待されながらも、故障などの不運も重なって思ったような結果が出せず、2012年に野手にコンバート。2014年には開幕スタメンを勝ち取り、このシーズンは100試合に出場して10本塁打を記録した。2019年はレギュラーとして130試合に出場。西武に欠かせない選手に成長した。

 こうした投手から野手に転向した例としては、他にも西武やダイエーで活躍した宮地克彦や、ロッテ、中日でプレーした愛甲猛がいる。古いところでは、打撃の神様・川上哲治も、実は投手から野手に転向した選手。V9時代の巨人を支えた柴田勲も、プロ2年目に野手にコンバートされている。

非常にレアな野手から投手へのコンバート



 では、逆に「野手から投手にコンバートされた選手」にはどんな顔ぶれが並ぶのだろうか? 有名なのがオリックスで活躍した萩原淳だ。1992年ドラフトで2位入団した萩原は、プロ9年間でわずか1安打と結果が残せなかったが、当時の仰木彬監督の決断で投手にコンバート。タイトルは獲得できなかったが、2010年に引退するまで270試合に登板した。

 1994年にオリックスにドラフト1位で入団した嘉勢敏弘は、プロ3年目の紅白戦で仰木監督に登板するよう指示されたことがきっかけで、投手と野手の二刀流に挑戦した選手。外野手登録のまま投手としてプロ初勝利を挙げるなど、変わった形で活躍した。その後2001年に投手に登録を変更し、このシーズンはリーグ最多の70試合に登板している。

 阪神でワンポイントリリーフとして活躍した遠山奬志は、投手⇒野手⇒投手という変わったコンバート経験をしている。1985年ドラフトで阪神に1位指名され入団した遠山は、阪神時代は投手として出場するが、成績不振から移籍したロッテで野手に転向することになる。しかしロッテでは一軍に出場できずに自由契約となり、再び阪神に「投手」として復帰した。その後は主に左打者へのワンポイントリリーフとして活躍。「野村再生工場」の象徴的な存在となった。

 投手から野手にコンバートされて活躍した選手は、高校時代に野手としても高い評価を受けていたケースがほとんど。例えば、ヤクルトの雄平は高校通算36本塁打、西武の木村は通算33本塁打と、バッティングでも非凡なセンスを発揮していた。

 とはいえ、投手と野手とでは勝手も異なり、ましてやプロの球に対応できるバッティングはそうそうできるものではない。木村はコンバートの際には、痛み止めの服用が必要になるほどの猛練習を自らに課したという。大成の裏にはこうした血のにじむような努力があるのだ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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