昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 黒い霧でイニシャルから本名へ
今回は『1970年4月27日号』。定価は80円。
1970シーズン開幕。13億円で改装された後楽園では巨人─
中日戦が行われ、中日が新人・
谷沢健一の2安打、新外国人バビーの満塁弾などで大勝した。
悲惨だったのが雨で1日順延となった4月11日(初出修正)の西鉄─東映戦(平和台)。試合中からヤジが飛び交う中で西鉄が大敗。試合後、球場前をファンが占拠し、
「池永を出せ」「与田も出てこい」「もう八百長はたくさんだ」
と罵声が飛び、選手たちはしばらく球場から出ることができなかった。
これは開幕前に八百長事件を起こした
永易将之が西鉄内で八百長に関与した者の名前を話し、当初はすべてイニシャルで報じられていたのだが、新聞が、
池永正明、
与田順欣、
益田昭雄、
村上公康、
船田和英、
基満男、
田中勉と実名を出し、混乱状態となってたからだ。
また、永易が八百長をした、と証言したのは以下の3試合。
4月23日、
ロッテ─西鉄戦(東京)、6月4日、近鉄─西鉄戦(日生)、7月29日、南海─西鉄戦(大阪)。
成功したのは南海戦だけだったという。
永易は自分は“主犯”ではなく、与田に頼まれてやっただけ、と発言。池永に関しては、田中に金を渡して接触させただけで、本当に八百長をしたかどうかは分からない、と言っていた。
さらに永易と西鉄との金銭交渉に藤縄(別名藤田)という人物が介在しており、この男は賭博での逮捕歴があった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM