一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 稲尾和久のSOSは通じず
今回は『1970年7月20日号』。定価は80円。
早くも独走態勢に入った巨人。その原動力が王貞治だ。
6月29日時点で26号、これで日本記録を更新する月間15本塁打も放った。55試合で26本だから、ほぼ2試合に1本近い。世界記録の61本塁打超ペースと騒がれていた。
打率.362、47打点で今のところ打撃3部門トップだ。
まさに怪物だが、実は腕力は決して強くない。
荒川博コーチは言う。
「王は腕力はない。腕相撲させたらたいていの選手に負ける。ただ、非常に脚が太い。ねん坐など絶対にしない脚だ。それで土台が座っている」
対してパでは東映の
張本勲が打率.381、15本塁打、40打点で三冠王(本塁打は
ロッテ・
アルトマンとタイ)。
「昨年までレフトに流していたのを今年はピシッと叩いています。それが投手の足元を抜けてセンターへ転がっていますね」
と好調の要因を語っていた。
パで独走はロッテ。
成田文男、
木樽正明、
小山正明の先発三本柱が安定していた。ベテランの小山は、68年は兼任コーチで4勝。しかし69年にコーチから外れると11勝を挙げ、復調した。すでに2試合の無四球試合をするなど、自慢の制球力にさらに磨きをかけていた。
「四球で出すのもヒットで出すのも走者は同じ。それなら走者を出してピンチを招かんようにするのは当然のこと」
黒い霧の後、各球団にトレードの協力を申し出た西鉄だったが、結局、パはどこも協力せず、
阪神から
久野剛司投手のみで終わった。
この話、岡野パ会長が西鉄の弱体化はパ全体の繁栄にも影響すると、「リストを出してくれたら(パの各球団と)仲介する」と言って始まったものだった。
稲尾和久監督は30人のリストをつくったが、しかしまあ、パの各球団は冷たく、中にはここぞとばかり移籍金をふっかけてくる球団もあったという。
温厚な稲尾和久監督も失意と、やや怒りの表情で、こう話していた。
「こちらの考えが甘かったというか、虫が良すぎた交渉だったが。それにしてもこちらの弱みにつけこんだような要求も少なくなかった」
黒い霧とは関係ないが、最下位の
ヤクルトもドタバタしていた。
まずは捕手の加藤の無免許での交通事故。さらにロッカー内にあった
大矢明彦のミットが刃物で切られるという事件もあった。
6月23日には、週刊誌で八百長と書かれた大洋・
平松政次に対し、ヤクルトベンチから「八百長野郎」とヤジ。これを平松は
武上四郎と思って怒りの抗議。試合後には記者たちにも不満をぶちまけた。
それがスポーツ紙に載って騒ぎとなり、鈴木龍二セ会長がヤクルトに「品位を落とすヤジは協約違反になる」と厳重注意をしたという。
そんなこんなのあげく、24日には
別所毅彦監督と就任したばかりの相馬代表の大議論(口喧嘩)もあった。
弱いといろいろあるということか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM