一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 川上哲治、大喜び
今回は『1970年11月9日号』。定価は80円。
ロッテの優勝決定からかなりたち、10月22日、129試合目で、ようやく巨人のリーグ優勝が決まった。
中日球場(のちナゴヤ球場)の中日戦だったが、ゲームセットの瞬間、ベンチから真っ先に飛び出したのが、なんと
川上哲治監督。その顔は、皆さんに見せたいほどの、満面の笑顔だった。
そのままナインによる歓喜の胴上げ……とはならなかった。
ロッテのVシーン同様、客席から一気にファンが乱入。ただ、敵地とはいえ、この年の中日は大低迷。巨人の優勝シーンを見たいというミーハーファンが多かったようで(それとも乱入したのは巨人ファンがほとんどだったのか)、殺気だった雰囲気はない。巨人の選手を取り囲み、次々胴上げをした。
ただし、川上監督は79キロと巨漢でもあり、コツが分からぬファンには持ち上げられなかったようだ。
祝福ではなく、選手のグッズ狙いだった不届き者も多かったようで、最終的には選手の帽子が15個、グラブ2個が盗まれた(強奪された)。
その後、名古屋市内の宿舎で行われた祝勝会でも川上監督はご機嫌そのもの。選手にジョークを飛ばし、冷やかしながら酒を飲ませている。
逆にしんみりしていたのが、打点王ながら不本意なシーズンだった長嶋茂雄だ。
「よかった。本当によかった。俺は病気をしたりしてチーム苦戦の原因をつくったからね。でも優勝して本当によかった」
珍しいことだったが、目には涙が浮かんでいた。
この激闘は終盤の
阪神の猛追が生んだものだ。
立役者はもちろん兼任監督の
村山実である。
10月9日、甲子園での直接対決の前日には外野芝生に集めた選手たちに、
「巨人を意識しろ。逆転優勝を狙って戦うんや。悔いのないプレーをしよう」
と檄を飛ばした。
結果は2戦目こそ自身が勝利投手になったが、初戦と3戦目を
江夏豊で落とし1勝2敗。
だが、村山はあきらめなかった。
「すべてをかけます。全力を尽くしてみます」
目の下のクマと、この言葉が終盤の定番のようになっていた。
18日の
ヤクルト戦では、右手指の血行障害が再発し、指が冷たくなりながらも128球を投げ、勝利投手になっている。
22日、巨人の優勝が決まった後の会見では、
「ずいぶんいろんなことがあった1年だった。1年生監督のワシがここまでやれたのも、みんな選手、球団、ファンなど周りの人のおかげや。選手はほんまにようやってくれた。ただ、ご苦労さんを言い、労をねぎらうだけです」
目からは涙が流れていた。
この年の村山は14勝3敗、防御率はなんと0.98。さすがミスタータイガースである。
ネタが多いので、またあしたも同じ号からいく。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM