週刊ベースボールONLINE

平成助っ人賛歌

キャンプで酷評も開幕後の活躍で首脳陣もビックリ、“カープの銀行員”ロードン/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

キャンプで「ダメ外人」と酷評



 30年前近くのテレビ番組『珍プレー好プレー』を観る機会があった。

 クローゼットの奥、引っ越してからほとんど放置されている段ボール箱を発見して開けたら、巨人三本柱の現役晩年に密着したドキュメンタリー番組『ZONE』とか、『進ぬ!電波少年』で人気の真中瞳がスポーツキャスターを務める『ニュースステーション』の野球コーナーを録画したVHSビデオが大量に出てきた。ちなみに『珍プレー好プレー』の司会は島田紳助と板東英二という今となってはいろいろとヤバそうな顔触れだ。

 過去の映像は眠った記憶を呼び起こしてくれる。1990年6月24日、大洋の大門和彦が投じた背中の後ろを抜けるとんでもないボール球に激怒した広島のロッド・アレンが、横浜スタジアムの左中間奥深くまで大門を追い回すあの有名な乱闘シーン。実はこの試合の7回表にクロスプレーで走者アレンは体当たりをかまして捕手の秋元宏作を吹き飛ばし、危険なラフプレーに怒った須藤豊監督が帽子を2度も地面叩きつける猛抗議をしていた。その様子を見たアレンは「報復があるかもしれない」と思ったという。確かにそんな伏線があったな……なんて30年後に思い出して楽しめるのも永久に終わらない連続ドラマ・プロ野球の魅力だ。

 さて、平成初期の広島の外国人選手は個性派ぞろいで、身長188センチに77キロの細身の体型とメガネが似合う、いかにも真面目そうな風貌から“銀行員”と呼ばれた男もいた。ウェイド・ロードンである。89年に満を持してミスター赤ヘル山本浩二が42歳で新監督に就任。ユニフォームもシンシナティ・レッズ風にリニューアルされ、その記念すべき初年度に来日したのが、推定年俸3500万円コンビのアレンとロードンだった。しかし、メジャー通算5年間でわずか1本塁打のロードンは28歳と若かったが、とにかく前評判が低く、春季キャンプでも評論家から「ダメ外人」と酷評されていた。右打者にもかかわらず走り打ちのようなフォームで非力な打撃は、外野フェンスを越える当たりがほとんどなく、さらに3月にはロザンヌ夫人の出産に立会うために帰国してしまう。

「なあに、今に見とってくれ。開幕に間に合うたらええんや。ロードンもスタンスを変えたり、自分なりに工夫して取り組んでいた。実戦向きの選手だと思うよ」なんて山本新監督は擁護したが、その一方でオープン戦では高橋慶彦を三塁に仮コンバートして試したり、第3の外国人獲りもウワサされた。同時期の『週刊ベースボール』にも、「安いだけがとりえ? 三、五番を打たせ小早川を刺激なんて今や冗談としか思えない。どうするの?」という記事が確認できる。

ニックネームは「クラーク・ケント」


89年は走者ありで打率.338、12本塁打と勝負強さを誇った


 しかし、だ。「非力、非力」とディスられた背番号44の“銀行員”は開幕すると突如打ちまくる。4月中旬にロザンヌ夫人と生まれて間もないアマンダちゃんが来日すると、直後の浩二vs仙一の親友対決で注目された中日戦では第5号、6号と2試合連続アーチ。月間MVPこそ平成第1号を放った巨人の原辰徳に譲ったが、しっかり「三番・三塁」に定着して打線を牽引する。

 新生山本カープは先発ローテに大野豊川口和久北別府学長冨浩志。抑えは津田恒美と強力投手陣を擁し、4月は15勝3敗と貯金生活で開幕ダッシュに成功。5月後半には藤田巨人に首位を明け渡すが、格安助っ人三塁手の想定外の活躍に水谷実雄打撃コーチも「(報道陣が開幕前に酷評の)ロードンに謝罪したって? 謝る必要なんかないよ。ワシだって、打つとは思うとらんかったからな」なんて苦笑い。山本監督も開幕後しばらくして「どうなることかと思っとった」と本音を漏らしている。いわば、首脳陣もダメ元の打ったらもうけもの的な起用だった。

 前半戦を打率.307、16本塁打、49打点の好成績で終えたロードンは、週ベ89年8月14日号の「カープのスーパーマン」スペシャル・トークに登場。ニックネームは「クラーク・ケント」。普段はちょっとしたインテリのサラリーマン然とした男が、ひとたびユニフォームに身を包むとスーパーマンに変身するというわけだ。周囲からあまりにサラリーマンだとか、銀行員だとか言われるので野球がダメになったら、銀行員になってやろうかと思うけど、カープで5年はプレーしたいと思っていると笑うロードン。

 その一方で「これまで、アメリカでやってきた野球と違うわけだから、ボクとしてはスプリングトレーニングは日本の野球に馴染むためのものだった。だから、その時点で判断を下されるというのはやはり早急すぎるね。幸い日本語はよくわからないから、どの程度まで悪く言われているかは知らなかった」と早く答えを出したがるマスコミをチクリ。

「ボク自身のキャリアは、3Aとメジャーの間を上がったり下がったりだったわけで、とにかく毎日、プレーできるところはないかと探していた。そのうち86年くらいに、あるエージェントから声が掛かって“日本で、3Aクラスからメジャーの選手を探している”と。そのあたりから日本野球というのを意識しはじめたなあ」

「日本の野球はチームぐるみの研究がすごい。1試合ごとにミーティング。アメリカだったら、よほどの一流打者相手でもないと、ここまではしないね。いい選手はたくさんいるよ。投手は、巨人のピッチングスタッフ全員だ(笑)。中でもマキハラ、サイトウ。彼らはどちらかというとアメリカンスタイルの投手で、比較しやすいせいもあるけど、素晴らしい。付け加えておかないといけないのはカープのオオノさん。日本で一番のピッチャーだと思う」

「応援スタイルだけでいうなら、ボクの好きなのはスワローズの応援だ。傘の応援はしゃれているし、トランペットも一番うまいね」

 自身がNPBに興味を持ったきっかけや日本野球の印象を語る超がつくほどのマジメ男は、ロードに出た宿舎では聖書を読みふけり、自身のヘルメットには新約聖書3章23節の「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい」と英文を書き込むほどの敬虔なクリスチャンだという。そんなカープのスーパーマンの1年目は123試合で142安打を放ち、打率.300、22本塁打、79打点、OPS.848と前評判の低さを吹き飛ばす働きでチームの2位の原動力に。セ・リーグ三塁手部門でゴールデン・グラブ賞にも輝いた。

2年目は山本監督の逆鱗に触れて……


大野豊(左)とロードン。「日本で一番のピッチャーだと思う」とチームメートを高評価していた


 だが、誰もが息の長い優良助っ人になると思った2年目は、前年14個だったエラー数が開幕1カ月で7個と守備のスランプから勝負強い打撃も崩れ、ファームで再調整へ。夏場に一軍復帰するも、8月12日の阪神戦で二塁走者時に次打者の遊ゴロで飛び出し、滑り込まずにアウトに。「みんなで一生懸命やろうと頑張っているのに、一人でもああいうプレーをするものがいてはならないんだ」と山本監督の逆鱗に触れ翌日二軍落ちしてしまう。「せっかく調子が上がってきたところなのに……」なんつって不満顔のロードンだったが、そこはマジメ男らしくキレることなく翌日からファームの試合でプレー。結局、90年は26試合で打率.230、2本塁打、15打点と低迷すると、その年限りでチームを去った。

 わずか2年間の日本生活だったが、ロードンは「外国人選手の開幕前の評判はあてにならない」と日本の野球ファンに教えてくれた。今シーズンは新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、プロ野球オープン戦は史上初の無観客で全試合開催。3月20日に予定されていたセ・パ両リーグ公式戦の開幕も延期となった。それでも2020年のペナントレースが開始されたら、今はまったく目立たず前評判も高くない外国人選手が、きっと観客の日常の些細な不安を吹き飛ばすような意外性の活躍を見せてくれることだろう。

 そのプレーでファンに勇気と元気をくれる、そう、あの年の“銀行員”ロードンのような助っ人選手と出会えることを楽しみに開幕を待とうと思う。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング