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高校野球リポート

日大三島・永田裕治新監督をサポートする佐藤直樹、小園海斗の同級生

 

報徳学園高出身の中西良憲(左)と原口志士(右)は今年4月から、日大三島高(静岡)のコーチとして、永田裕治新監督をサポートしている


 母校で23年にわたり「全員野球」を貫いてきたその証しが、日大三島高(静岡)にあった。4月1日付で永田裕治新監督が就任。報徳学園高では春夏を通じて18回の甲子園出場へ導き、2002年春のセンバツでは大谷智久(現ロッテ)を擁して優勝。兵庫の名門校で23勝(17敗)と申し分のない実績を残した。

 指揮官はそうしたデータに興味がない。野球部監督は放課後の顔であり、保健体育科の教師としての顔も持ち、人を育てることを重点にしてきた。野球部は100人以上の大所帯であるが、メンバーとメンバー外には分けず、全部員が同じメニューを消化。大会前、甲子園期間中にもかかわらず、そのスタイルを譲ることはなかった。誰一人として見捨てない。入学から3年夏まで2年半、同じ時間を共有するのがポリシーであった。

 しかし、背番号には限りがある。控え部員はメンバーのために、全力で声援を送った。報徳魂とは、人と人との絆である。高校卒業後、ベンチから漏れた教え子がグラウンドに足を運んでくれるのが、指揮官にとって最高の喜びだったという。同校OBは皆「永田先生!」と恩師を慕っている。

 2017年春のセンバツ4強を花道に勇退。18、19年には侍ジャパンU-18代表監督を務め、新天地・日大三島高での指導が始まった。同校は1989年夏を最後に甲子園から遠ざかっており、卓越した指導力が期待されている。

 家族を兵庫に置いての単身赴任。縁もゆかりもない静岡での新たな指導者人生だが、心強い2人の援軍がいる。報徳学園高で教え子に当たる中西良憲(日大国際関係学部4年)と、原口志士(同2年)が指揮官をサポートする。

 中西は佐藤直樹(現ソフトバンク)と同級生で3年間、甲子園とは縁がなく、ベンチ入りも果たせなかった。永田監督からの「手伝ってくれんか?」との直々のお願いに、断る理由はなかった。むしろ、頼られることが心からうれしかったという。昨年までは中学硬式野球の麻生ボーイズで指導しており、シートノックにおける雰囲気づくりもうまい。

 小園海斗(現広島)と同級生の原口も、永田監督を慕って報徳学園高に進学した一人だ。1年秋には控え選手としてベンチ入り。永田監督の最後の大会となった2年春のセンバツでのベンチ入りは逃したが、3年夏の甲子園では背番号12を着けた。日大国際関係学部の野球部に所属しながらも、4月以降は永田監督の下でコーチ業に専念する。「監督交代」の難しさを自ら経験しており、選手と寄り添っていきたいと語る。

 教え子とは、監督にとって「宝物」。何物にも代えられない財産を残した。永田監督が貫いてきた「全員野球」の答えは、そこにあった。

文=岡本朋祐 写真=榎本郁也
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