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川口和久WEBコラム

センスの塊、関根潤三さんを偲ぶ/川口和久WEBコラム

 

心ある解説者


巨人時代の関根さん。選手生活最終年だが、体の柔らかさを感じる



 関根潤三さんが亡くなられた。
 93歳か。また一人、昭和の野球人が逝ったね。

 ……と思ったら、この人、戸籍上は昭和2年3月15日だけど、本当は大正15年12月25日生まれらしい。まあ、活躍したのは昭和だから、昭和の野球人で間違いないが、なぜなのか編集部に調べてもらった。

 彼らの話では、関根さんが生まれた大正15年の12月25日は大正天皇が崩御した日。役所も喪に服し、休んでいたので、お父さんが出生届を出さず、そのまま忘れて翌年の3月15日に出したという。そのとき、どう思ったか、出した日を誕生日にしたらしい。

 ただ、これが功を奏したと言えばいいのか、同学年の大正15年生まれには戦争で召集令状が来たが、昭和生まれの関根さんにはこなかったという。
 運がある人なんだな。

 俺にとっての関根さんは解説者時代のイメージだ。聞いたことがある人なら分かると思うが、すごく穏やかで、心のある話し方をする。あとはリズムと受け答えのセンスがいいんだ。
 自分の型を持っていて、どんなツッコミにも対応できるというのかな。
 これが結構、難しい。俺もコーチ時代を挟みつつ、解説者として、ずいぶん長くなったが、アナウンサーに予期しないことを言われ、一瞬、詰まることはある。
 関根さんにコツを聞いておけば、よかったな。 

 監督としては大洋とヤクルトの監督をされていた時期に、俺はカープの投手として戦ったが、こっちが若手だったこともあり、82年から84年の大洋時代の印象はほぼない。必死にやっていたから相手の監督なんか目に入らなかった。
 87年からのヤクルト時代は、こっちも少し余裕ができていた。
「イケトラ」と呼ばれた池山隆寛広沢克己がいた時代だね。チームは強くなかったが、選手の個性を大事にする監督だなと思っていた。
 広島だったら、あんな三振ばかりしてたら、すぐ二軍落ちだからね。
 当時は、会えば、あいさつをする程度で特に話もしたことはなかった。体も小さいし、言い方は悪いが、普通のおっちゃんだった。

 だから今回亡くなられて、選手としての経歴をじっくり見てびっくりした。二刀流で16勝を挙げたシーズンがあれば、規定打席で3割超えもある。
 それ以上に驚いたのは、投手やっていた時期の打率だ。3割を普通に打っている年もある。打撃がよかったと言われる金田正一さんの成績も編集部に調べてもらったけど、3割は一度もない(ちなみに俺の最高は.293で、これは少し自慢)。
 まさにセンスの塊だね。
 
 プレーヤーとしては映像も見たことはないけど、写真を何枚か見たら、すごく柔らかい投げ方と、柔らかいバットコントロールだった。
 俺は篠塚(和典)さん(元巨人)みたいだな、と思った。この人もセンスの塊。柔らかいスイングをし、槙原寛己にスライダーを教えた人としても有名だよね。体勢が崩れようと、多少のボール球だろうとヒットにするセンスがあった。
 解説者・関根さんみたいに、そしてたぶん、バッター・関根もそうだったのだろう。
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