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西本聖、大野豊、秋山幸二、石井琢朗……ドラフト外から大活躍した選手たち

 

「ドラフト外」という言葉を知らない世代が増えているかもしれない。ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる制度で、1965年のドラフト制度と同時に導入された。球団が意中の選手に、他球団の指名を断らせるための「囲い込み」に利用していると指摘されたこともあったが、現在の「育成枠」に近い形態で、この制度が廃止される1990年までに663人の選手がドラフト外で入団した。ドラフト上位で指名された選手に比べ、与えられたチャンスは少ないかもしれない。だが、不屈の根性で球界を代表する選手に成長した選手は少なくない。西本聖大野豊秋山幸二石井琢朗……彼らは全員「ドラフト外」で入団した選手たちだ。

巨人・西本聖


・西本聖(巨人、中日オリックス) 
※504試合登板 165勝128敗17セーブ 防御率3.20

 松山商高で好投手として名を馳せていたが甲子園出場は叶わず、1975年にドラフト外で巨人に入団。内角をえぐるシュートを武器に江川卓とエースの座を競い合い、81年に18勝を挙げて沢村賞を受賞した。80年から6年連続2ケタ勝利をマーク。中日にトレード移籍した1年目の89年には20勝6敗、勝率.769で最多勝と最高勝率に輝いた。19年間の現役生活で通算165勝はドラフト外で入団した投手で最多勝利だ。

広島・大野豊


・大野豊(広島)
※707試合登板 148勝100敗138セーブ 防御率2.90

 出雲商高を経て出雲市信用組合に就職し、軟式野球部で3年間プレー。77年2月に特別に広島の入団テストを受けて合格した。1年目の77年は1試合の登板のみで打ち込まれて防御率135.00という成績だったが、翌79年から救援で不可欠な存在に。84年から先発に転向し、88年に13勝7敗、防御率1.70で沢村賞を獲得した。91年から再び救援に回り、2年連続最優秀救援投手を受賞。最優秀防御率も2度獲得するなど抜群の安定感を誇り、プロ22年間の現役生活で43歳までプレーした。

西武・秋山幸二


・秋山幸二(西武、ダイエー)
※2189試合出場 打率.270、437本塁打、1312打点、303盗塁

 八代高時代から身体能力の高さはプロから注目されていたが、大学進学を希望していたためドラフトで指名されず。その後にプロ入りを表明したため、複数球団の争奪戦の末に81年に西武にドラフト外で入団した。85年から9年連続30本塁打以上を放ち、87年に43本塁打、90年に51盗塁でタイトルを獲得し、「メジャーに一番近い男」と評された。ダイエーにトレード移籍後も、99年に日本シリーズMVPに輝くなど常勝軍団の礎を築いた。通算2157安打で名球会入り。

横浜・石井琢朗


・石井琢朗(大洋、横浜、広島)
※2413試合出場 打率.282、102本塁打、670打点、358盗塁

 足利工高で1年時から背番号1を背負い、2年夏にエースで甲子園に出場。大学進学が決まっていたため、どの球団もドラフトで指名しなかったが、大洋がその素材を高く評価し、89年にドラフト外で入団した。投手として入団したが、プロ4年目から内野手に転向。俊足巧打のプレースタイルでリードオフマンに定着し、2度の最多安打、4度の盗塁王を獲得した。遊撃手で1765試合出場はNPB史上最多記録。通算2432安打で名球会入り。

阪急・松永浩美


・松永浩美(阪急、阪神、ダイエー)
※1816試合出場 通算打率.293、203本塁打、855打点、239盗塁

 小倉工高を中退して78年にドラフト外で阪急に入団。野球協約に抵触したため選手登録が叶わず、用具係の名目による練習生扱いを経て、79年に支配下選手となった。持ち味の俊足を生かしてスイッチヒッターに活路を見出し、打率3割以上を7度マーク。85年は38盗塁、89年に出塁率.431でタイトルを獲得した。「史上最強のスイッチヒッター」と形容され、1試合左右打席本塁打を通算6回マーク。阪神で日本球界初のFA宣言したことも話題になった。

写真=BBM
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