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西本幸雄、最後の優勝、されど日本シリーズはまた/セ・パ誕生70年シリーズ1980年編

 

空前の混パを抜け出し


パート6は1980年編


 好評の1980年代シリーズ。1年を1冊で振り返るものだが、1985年から始め、89年までいった後、4月28日発売は一気にさかのぼり、「1980年」となる。

 1980年は巨人長嶋茂雄監督の退任騒動、さらに巨人・王貞治西武野村克也の引退と、ゲーム以外の話題が多い年だった。
 
 優勝は前年と同じセが広島、パが近鉄。日本シリーズもまったく同じ4勝3敗で広島が2年連続日本一に輝いた。
 つまり、闘将・西本幸雄が8度目にして、最後のリーグを飾り、ご存じのように、日本シリーズ8度目の敗北を喫した年でもある。
 今回は近鉄の記事を抜粋する。

「何度もダメだと思ったよ。二度、三度と死んだようなものだったからね。すべては選手の気力や」
 還暦を迎えていた近鉄・西本幸雄監督が「一度目」の胴上げ後、感無量の表情で語った。
 1980年後期、パ・リーグは前後期制が始まって以来、最大の激戦となった。

 混パの大きな要因は、前年最下位だった根本陸夫監督率いる西武の躍進だ。この年も前期は最下位だったが、後期に入って東尾修田淵幸一と投打の中心選手が本来の力を発揮。さらには松沼雅之が後期開幕から9連勝を飾り、打線は「恐怖の七番」と言われた立花義家、後期から加入した新外国人スティーブらが快進撃を支え、9月半ばから首位をキープしていた。

 さらに新人・木田勇が素晴らしいピッチングを続けていた日本ハム、強力打線を誇る前期優勝のロッテも虎視眈々、頂点をにらむ。
 前年王者の近鉄は、後期序盤こそ首位に立ったが、夏場投手陣の大失速で急降下。5位に落ちた時期もあった。それでも9月に入り、調子を上げ、2位まで順位を上げていた。

 各地でダブルヘッダーが行われた9月28日がクライマックスへの「入り口」だ。首位の西武は阪急に連敗ながら辛うじて1位キープ。近鉄、ロッテは1勝1敗で3位タイ。1試合だった日本ハムは南海に勝って2位となった。
 この後、日本ハムは3勝1敗で首位に立ち、10月7日、シーズン最終戦となる近鉄戦を迎える(後楽園)。
 勝つか引き分けで日本ハムが優勝だったが、途中、必勝を期してリリーフ登板した木田が5失点。5対6と敗れ、自力優勝が消えた。

 翌8日、近鉄は藤井寺での西武戦。今度は近鉄が勝てば逆転優勝が決まる。試合は序盤、荒れた。3回、遊撃手・石渡茂のエラーからピンチを広げ、西武が3点を先制。しかし5回裏、この石渡の三塁へのファウルフライをスティーブが落球したことから流れが変わった。
 命拾いした石渡の意地の一発から始まり、マニエルの3ラン、栗橋茂のソロで6得点を奪い、そのまま試合の主導権を渡さず、10対4の勝利。西本監督が高々と宙を舞った。

 スタンドでは77歳の佐伯勇オーナーが目をしばたいていた。
「後楽園を満員札止めにした。西武球場を超満員にした。そして藤井寺も。お江戸のど真ん中を熱狂させ、パ・リーグここにあり、を世間に見せつけた。
 近鉄がそれをやったのがうれしい。そうやろ、お荷物だとか足手まといだとか、ワシらなんぼ言われたか分からない。それがこんなにファンに喜ばれるチームになって……」

 前期優勝のロッテとのプレーオフでも近鉄は後期の勢いそのままに疾走した。1、2戦をそれぞれ井本隆鈴木啓示の力投でものにし、3戦目は自慢の猛打爆発で13対4。3連勝で2年連続リーグ優勝を決めた。
 大勝もあって試合中、客席のコールは「かっとばせ、ロッテを倒せ!」から「かっとばせ、カープを倒せ!」に変わっていた。
セの優勝はすでに広島が決め、この試合でもスタンドには古葉竹識監督をはじめ、コーチ陣が陣取っていた。
 前年の日本シリーズ、3勝3敗で迎えた第7戦の9回裏、無死満塁と追い詰めながら江夏豊の快投、あの「江夏の21球」に封じ込められ、1点も奪えず、敗れた。
 西本監督は「俺は、あの世に行っても、あのシーンは忘れない」と話し、雪辱を誓っていた。

 日本シリーズは初戦から延長戦となるが、12回表、宿敵・江夏から羽田耕一が決勝2ランで先勝。2試合目も打線が爆発し、敵地・広島市民球場で2勝と最高の滑り出しを見せた。
 大阪球場での3、4戦は落とすが、5戦目はベテラン・鈴木が途中左足に打球を受けるアクシンデントがありながら115球の2失点完投勝利で王手。
 西本監督にとって、大毎、阪急監督時代を通じ、8度目の日本シリーズにして初めて相手より先に王手をかけた。

 しかし第6戦、初回に水谷実雄に満塁弾を浴び、2対6で敗れると、流れは完全に広島に移ってしまった。
 11月2日の第7戦(広島)、西本は井本から鈴木、柳田豊、村田と先発4本柱をつぎ込むリレーで意地を見せたが、3対8と完敗。2年連続日本一に届かず、西本監督にとっては8度目の日本シリーズで8度目の敗北となった。

 試合後、西本監督がナインをロッカールームに集め、入り口のドアをピシャリと閉めた。多くの選手は、西本監督が「退任」を口にするのではと思ったという。シーズン中、西本監督は胃をやられた。ドス黒い顔をし、夏場は薬だけでなく、こっそりと注射も打っていたという。
 もちろん、愚痴など言う男ではない。心配する選手たちに、
「俺は元気だ。ぴんぴんしている。胃も大丈夫だ。なんでもたくさん食べられるぞ」
 と快活に笑った。選手は、そんな西本監督を見て「今年こそ、この人を日本一にする」と燃えた。

 話を戻す。ロッカールームで目を見開き、自分を見つめる選手たちに、西本監督は優しい声で言った。
「みんなようやった。このシリーズ、いったいどこが敗因か。これから来年に向かって、どんな点を反省し、やってゆかねばならぬか。みんな一人ひとりがいい勉強をしたと思う。バファローズはこれから本当に日本一へ、強くなっていくんだ」
 もしかしたら日本一となったら勇退していたのかもしれない。
 だが、自分がどうこうではなく、愛弟子たちのために、このままユニフォームを脱ぐことはできないと思ったのではないだろうか。

 ミーティングの後、疲れ切った様子を心配した顔見知りの記者に西本監督はこう言ったという。
「俺の闘志は消耗していない。疲れていない。俺は元気だ」
 いつもの苦虫をかみつぶしたような顔ではなく、少しはにかんだ笑顔だった。
 そのその言葉は自分自身に言い聞かせるものだったのかもしれない。
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