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パ・リーグ6球団 史上最強のルーキーは?

 

埼玉西武ライオンズ



 簡単に破ることのできないアンタッチャブルな記録を残した。1986年、PL学園高からドラフト1位で入団した清原和博。4月5日の南海戦(西武球場)、プロ2打席目で初安打初本塁打を放つと、4月はバットが湿ったが5月に入ると急上昇。下位だった打順は次第に上がり、5月下旬には五番に。10月7日のロッテ戦、127試合目に初めて四番に座り、その試合で59年桑田武(大洋)に並ぶ新人最多タイ、高卒新人では史上最多となる31号。結局、シーズンでは打率.304、78打点をマーク。広島との日本シリーズでは全8試合に四番として出場し、31打数11安打、打率.353と爆発し、日本一に貢献した。王貞治巨人)の868本塁打を超えるのは清原しかいない――。誰もがそう思った規格外の1年目だった。

福岡ソフトバンクホークス


南海・杉浦忠


 南海時代までさかのぼると、やはり杉浦忠の1年目の活躍は衝撃だった。ともに南海入りが確実視されていた立大の同級生・長嶋茂雄の巨人入りにも動じることなく、心変わりを心配して杉浦の下へ来た山本(鶴岡)一人監督に「心配ですか? 僕がそんな男に見えます?」とだけ言って笑顔を浮かべたという右腕。新人ながら開幕投手を務めてプロ初勝利を挙げると、そこから勝ち星を積み重ねた。下手から浮き上がる速球と横に大きく曲がるカーブを武器に、27勝を挙げて新人王を獲得。また、翌年は38勝、防御率1.40を記録して最多勝&最優秀防御率の2冠を手にし、64年まで7年連続2ケタ勝利と、1年目の活躍がまぐれではなかったことを証明した。今とは時代が違うとはいえ、若くしてエースとしてチームを引っ張っていく心意気にも目を見張るものがある。

北海道日本ハムファイターズ



 衝撃のルーキーが球界を席巻した。1979年秋のドラフトで3球団競合の末に日本ハムに1位で入団した木田勇(日本鋼管)。チーム待望の即戦力左腕として開幕2戦目のマウンドを任され、白星発進すると4月だけでいきなり4勝(0敗)をマーク。その後もキレのあるストレートに加え、木田の代名詞にもなった宝刀パームボールを武器に1年目から22勝。MVP、新人王、最優秀防御率、ベストナインなどタイトルを独占するセンセーショナルな活躍を見せた。2年目以降は思うように勝ち星を伸ばせなかったが、球史に刻む圧巻のデビューイヤーだった。

千葉ロッテマリーンズ


ロッテ・小坂誠


 俊足堅守で存在感を示したのが、1997年の小坂誠だ。JR東日本東北からドラフト5位で入団すると、開幕から正遊撃手に。負担の大きなポジションで全試合出場を果し、打っては新人歴代15位の130安打をマークした。さらに盗塁は56を記録し、新人最多記録だった52年の佐藤孝夫(国鉄)の45を大きく上回って新記録を樹立。この記録は、今なお破られてはいない。チームは最下位に沈む中で新人王に輝き、千葉の地に光を与える存在となった。

東北楽天ゴールデンイーグルス



 歴代No.1エースと呼べる田中将大で異論はないはずだ。駒大苫小牧高から2007年高校生ドラフト1巡目で入団すると、期待に違わぬ活躍を見せる。開幕先発ローテーションに抜てきされると、4試合目の登板となったソフトバンク戦(フルスタ宮城)で9回2失点の好投を見せ、プロ初勝利を初完投で飾る。このシーズン、田中は序盤に打ち込まれて降板することがあったが、なぜか黒星がつかないことが続き、野村克也監督による「マー君神の子、不思議な子」という名言が生まれた。この年、高卒新人では史上最速タイとなる96回2/3で100奪三振を達成するなど、11勝(7敗)を挙げて新人王を獲得した。

オリックス・バファローズ



 シーズン52二塁打の日本記録(2001年)を持つ谷佳知は、ルーキーイヤーの1997年も21二塁打をマーク。リーグ連覇中で、前年は日本一に輝いたチームの中で、5月にプロ初スタメン出場を果たして以降、出場機会を得て101試合に出場した。規定打席には届かなかったが、84安打を放って打率.272と持ち前の巧打を新人年から発揮。チームは2位に終わってリーグ3連覇を逃すも、巧打の中堅手として頭角を現した。この年の新人王は、ロッテの小坂誠に譲ったが、1年目から存在感を示し、のちに“チームの顔”となっていった。

写真=BBM
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