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セ・リーグ6球団 史上最強の先発左腕は?

 

中日ドラゴンズ



 実働29年、山本昌はドラゴンズ一筋で219勝(165敗)。杉下茂が持っていた211勝を抜いての球団最多勝投手である。速球派ではなく、緩急を使って打者を打ち取っていく投球スタイル。曲がりながら落ちていくスクリューボールを最大の武器とし、90年代に最多勝3回、沢村賞と防御率のタイトルを獲得。41歳で史上最年長のノーヒットノーラン、42歳で200勝達成など“中年の星”とも言われ、年齢を重ねても頭脳的なピッチングで50歳まで投げ続けた。90年代は今中慎二も先発サウスポーとして強烈な印象を残しているが、成績の面では太く長く現役生活を送った山本昌が上回る。

阪神タイガース



 2003年に20勝5敗という成績でリーグ優勝に貢献した井川慶の名前もすぐに浮かぶが、阪神での最強サウスポーは江夏豊以外には見当たらない。阪神の9年間で159勝113敗14セーブの成績を残した。それ以上に真っすぐの威力を武器に奪三振マシーンのごとき投球でファンを魅了。2年目にはいまだに抜かれていない年間401奪三振を記録した。9年間で4回の20勝以上、3回の300イニング以上の投球。最多勝2回、最優秀防御率1回、沢村賞1回など輝かしい活躍を見せた。

読売ジャイアンツ



 晩年の5シーズンを巨人で過ごし、通算400勝をもって引退した金田正一もいるが、その勝利の大半は国鉄時代に挙げたもの。となれば、巨人一筋で戦前戦後のチームを支え、実働16年で209勝(2ケタ勝利は11度)を挙げた中尾輝三(碩志)が先発では最強サウスポーと言えるだろう。1939年の入団初年度から12勝を挙げ、5年連続2ケタ勝利(40、41年はともに26勝)。48年には最多勝(27勝)、最多奪三振(187)、最優秀防御率(1.84)で投手三冠に輝き、前年から制定された沢村賞も受賞している。現役時代は一貫して背番号「18」を背負い、「先発完投こそが華」のこだわりは今なお球団記録である通算3057投球回に表れている。

広島東洋カープ



 主に1980年代に競った左腕ライバルの大野豊か川口和久のいずれかになるだろう。通算148勝、42歳で防御率1位のタイトルを獲得し、翌年には開幕投手を務めた「鉄腕」大野も捨て難いが、リリーフに回っていた時代も多く、先発での勝利数は惜しくも100には届いていないので、「先発」としての働きに限定して選ぶなら川口になるだろうか。広島に在籍した14年間はほとんど先発としてマウンドに上がり、6年連続を含む7度の2ケタ勝利を挙げるなど通算131勝。荒れ球だが威力のあるストレートと、150球投げてもへっちゃらというスタミナを武器に、3度のリーグ最多奪三振を記録した。広島在籍時代に記録した1938奪三振は、球団最多記録だ。

東京ヤクルトスワローズ


国鉄・金田正一


 金田正一で、疑う余地はないだろう。東京ヤクルトスワローズの前身である国鉄スワローズ草創期に活躍した。創設されたばかりの弱小球団に、大エースとして君臨。その圧倒的な力と振る舞いから「天皇」とも呼ばれた。国鉄で353勝、巨人で47勝――通算400勝は、いまだに破られない不滅の記録である。タイトルも最多勝3回、最優秀防御率3回、最多奪三振10回、沢村賞3回など、数々の栄誉を手にしてきた。ちなみに通算奪三振4490、365完投なども日本記録である。この先、どんな左腕が登場しようとも、“金田伝説”を塗り替えるのは難しいだろう。

横浜DeNAベイスターズ


横浜・野村弘樹


 秋山登平松政次遠藤一彦三浦大輔らエースと呼ばれた先発投手は右腕ばかりだった。唯一サウスポーで輝きを放ったのが野村弘樹だろう。PL学園高では立浪和義(元中日)らとともに甲子園春夏連覇を成し遂げ、1988年にドラフト3位で大洋(現DeNA)に入団。伸びのあるストレートと、キレのある変化球で先発の柱となり、93年には17勝を挙げ、現在に至るまで球団唯一となる左腕投手による最多勝を手にした。98年には13勝でベイスターズの日本一に貢献した。着けた背番号「21」は、今、同じ左腕の今永昇太に受け継がれている。

写真=BBM
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