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意外と通算勝利数が少ない名投手は?

 

 400勝という金字塔を打ち立てた金田正一や、驚異的なスタミナで626試合に先発して350勝を挙げた米田哲也など、NPB史に名を残す投手は信じられないような勝利数を重ねている。しかし、同じように名投手といわれる選手の中には「意外と勝利数が少ない」というケースも少なくない。今回は、そうした「意外と勝利数が少ない名投手」をピックアップしてみた。

あの名投手も実は200勝は達成ならず



 名球会の入会資格に「200勝達成」という項目があるように、200勝は名投手と呼ばれる資格の一つとされている。しかし、長くチームのエースとして活躍した名投手の中には、「200勝していなかったのか!」という意外な選手もいる。その筆頭が1980年代後半から1990年代の巨人投手陣を支えた斎藤雅樹だろう。最多勝利5回、最優秀防御率3回、沢村賞3回とNPB史に残る活躍を見せた大エースだが、1990年代後半はケガの影響で満足に投げられず、実働19年で通算180勝と200勝には届かなかった。

 斎藤とともに巨人を支えたエース・桑田真澄も200勝していない選手だ。最優秀防御率2回、最多奪三振、最高勝率のタイトルも獲得し、沢村賞やリーグMVPにも選ばれたが、通算勝利数は実働20年で173勝。1990年代後半は肘や足首の負傷などが原因で不安定なシーズンが続き、2002年は12勝と復調するもその後は再びケガに苦しんだ。

一時代を築いたエースでもそう簡単に勝ち星は伸ばせず



 西武の渡辺久信は、通算3度の最多勝を記録し、1980年代後半から1990年代前半のチーム黄金期を支えた大エースだ。しかし通算勝利数は125勝。投手としては十分な数字だが、当時の活躍からすると少ない印象を受ける。実は1991年以降、渡辺は体力の衰えから思うような投球ができなくなり成績が低迷。以降は一度も勝ち越すことができなかった。

 日本ハムのエースだった西崎幸広も通算勝利数は127勝と、200勝に達していない。毎年のように他チームのエースと投手タイトルを争っていた西崎だが、意外と勝っていないのだ。1997年には負傷が原因でわずか3勝に終わり、その不振からチームから放出されてしまう。移籍した西武では先発ではなく抑えとして活躍するも、再びケガが原因で調子を落とし、2001年に現役を引退。ケガがなければ通算勝利数も伸びていただろう。


 100勝未満では、中日のエースだった今中慎二が挙げられる。最多勝利、最多奪三振のタイトルや、沢村賞にも選ばれた1990年代前半の活躍から100勝はしていると思われがちだ。しかし通算勝利数は91勝と実は届いていない。大阪桐蔭高から中日に入団後は、8年間で87勝と驚異的なペースで勝ち星を積み重ねたが、肩の故障が原因で調子を落とし、以降は元の輝きを取り戻すことはできなかった。その後は5シーズンでわずか4勝にとどまり、2001年に現役を引退した。

 ほかには、ダイエー・ソフトバンク投手陣の柱だった斉藤和巳も、通算勝利数が意外と少ない大投手だ。2003年には20勝を挙げ、2006年には日本プロ野球史上7人目の投手5冠を達成するなど、球界最高の投手として素晴らしい成績を収めているが、引退までに挙げた勝利数は79勝。右肩の故障で2008年以降は試合で投げることができなかった。もし故障がなければにさらに多くの勝ち星を積み重ねただろう。

「意外と勝利数が少ない名投手」をピックアップしてみた。特に、他球団の強打者を圧倒する活躍を見せた斎藤雅樹については、「それだけしか勝っていなかった?」と不思議に思ったのではないだろうか。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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