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村田兆治、秋山幸二、今中慎二……メジャーで見たかった日本人選手は?

 


 野茂英雄が海の向こうに渡り、2ケタ勝利を7度マークするなど「トルネード旋風」を巻き起こしたのが1995年。その6年後の2001年にイチローがメジャー・リーグ(MLB)で新人王、首位打者獲得し、04年にはMLBシーズン史上最多安打の262安打をマークするなど世界を代表する選手として名を刻んだ。その後も多くの日本人選手がNPBで結果を残し、MLBでも活躍している。今では若者たちがMLBでのプレーを身近な目標としてとらえているが、90年代前半以前は成功のモデルケースがなかったため、夢物語だった。ただ、「メジャーに挑戦しても通用する」と呼ばれていた名選手たちは少なくなかった。村田兆治、秋山幸二、今中慎二……彼らの全盛期はすごかった。

ロッテ・村田兆治


・村田兆治(ロッテ)
※通算成績 604試合登板、215勝177敗33セーブ、防御率3.24

 左足を地面と水平に高く蹴り上げてから大きく踏み込み、右腕を勢いよく振り下ろす独特の投球フォームで、マサカリを打ち下ろす動作に似ていたことから「マサカリ投法」の異名をとった。プロ4年目にこの投球フォームを完成させると、150キロを超えていたといわれる剛速球と落差の鋭いフォークで三振の山を築いた。最多勝利1回、最優秀防御率3回、最多奪三振4回、最多セーブ1回。148暴投はNPB歴代最多だが、ノーサインで投げる村田のフォークの鋭さから捕手が後逸した場面も少なくなく、すごみを物語っている。

阪急・山田久志


・山田久志(阪急)
※通算成績 654試合登板、284勝166敗43セーブ、防御率3.18

 アンダースローでプロ野球最多の通算284勝をマーク。「史上最高のサブマリン」と称される。下から浮き上がる直球に、カーブ、スライダー、シュートと変化球はすべて超一級品。さらに、高速で鋭く落ちる伝家の宝刀・シンカーで打者を牛耳った。阪急の黄金時代を築いた大エースは最多勝3回、最優秀防御率2回、最高勝率4回獲得。メジャーではアンダースローが少なかったため、完成度の高い投球術はメジャーでも十分通用するという声が多い。

・秋山幸二(西武)
※通算成績 2189試合出場、打率270、437本塁打、1312打点、303盗塁

 1980〜90年代の西武黄金時代を支えた。攻守走3拍子そろったプレースタイルで身体能力がズバ抜けていた。87年には43本塁打、90年は51盗塁でタイトルを獲得。日米野球で対戦したメジャー・リーガーからもその実力を高く評価されていた。西武で同僚だったデストラーデは「秋山ならすべてのメジャー球団で主力選手として活躍できる」と絶賛し、近鉄の強打者ラルフ・ブライアントも「日本で一番すごいと思った打者は秋山」と高く評価していた。

中日・今中慎二


・今中慎二(中日)
※通算成績 233試合登板、91勝69敗5セーブ、防御率3.15

 エースとして稼働したのは1990〜96年の7年間と全盛期は長くなかったが、その活躍は強烈だった。細身の体型からムチのようにしなる左腕から繰り出される140キロ後半の快速球、100キロ前後のスローカーブで打者をほんろう。毎年200イニング近く投げ続け、93年は17勝7敗、防御率2.20、247奪三振で最多勝、最多奪三振を獲得した。外国人打者はストライクゾーンを外れるほど高い軌道から落ちてくるように見えるカーブで腰砕けになることが多く、「今中はメジャーで通用する」と助っ人たちの間で話題になったという。


・伊藤智仁(ヤクルト)
※通算成績 127試合登板、37勝27敗25セーブ、防御率2.31

 最速153キロの直球と真横に滑るような高速スライダーで衝撃を与えた。1年目の93年に6月9日の巨人戦(石川)でリーグタイ記録の16奪三振をマークするなど、7勝2敗、防御率0.91。右肩痛、右ヒジ痛を何度も再発して活躍した期間は短かったが、打者の手元で消えると形容された伊藤の高速スライダーは現在でも「日本一の変化球」に挙げるプロ野球OBは多い。全盛期にメジャーで通用したか見たかった野球ファンも多いだろう。

写真=BBM
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