一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 罰金5万円の衝撃
今回は『1971年7月26日号』。定価は90円。
東映の少しお粗末なお家騒動。
当時、東映の選手寮は「東映フライヤーズ修練道場」と名がつけられていたのだが、正直、名前だけ。近くの川崎の歓楽街や渋谷、横浜まで足をのばす者もおり、かなり自由な感じだったようだ。
ある夜、寮長が深夜12時の門限時に(これ自体ゆるい)、点呼を取ると、新人のMがいない。
これを聞いて怒ったのが、
杉山悟二軍監督。
翌朝、食堂に全員を呼び出し、
「お前らは、あすの一軍選手になるためにグラウンドで野球を、合宿では人間づくりをしているのだ!」
と説教。ここでやめればよかったのだが、熱血漢の杉山監督、
「まず、一度も門限を破っていない者がいたら、いますぐこの食堂から出ていってくれ」
……ここは東映だよ、とみんな言いたかったかもしれない。
誰も食堂から出ていく者はおらず、さすがの杉山監督もガクンと頭を落とした。
思いつめた杉山監督は、午後になって再び選手を集めると、
「門限を破った者は5万円を持ってこい」
と言った。今の5万円と違う。ほぼ月給だ。
これは門限を破った場合の罰金としてキャンプで選手に通達していたものだが、よく言う〇円以下の罰金か〇年の懲役みたいなもので、実際には2000円か3000円ですませていた。
杉山監督にしたら「いい加減にしろ」という気持ちだったのだろう。
これが一軍にも伝わり大騒ぎとなったが、烈火のごとく怒ったのが、
大杉勝男だった。
「俺の名前を新聞に出してもかまわん。こういったと書いてくれ。サラリーが5万、6万の選手が合宿に入っているんだ。そんな選手から5万の罰金を取るのは、選手に飯を食うなと言っているのと同じことだ!」
この言葉が伝わった杉山二軍監督も態度を硬化。賛成、反対で一気にチーム内がバタバタし始めた。
これをきれいに収めたのが、さすがケンカ上手の
張本勲。
寮に行って選手を集め、「二度とこんなことをするな」と説教した後、「罰金はなんとかする」と言って、代わりに選手に「二度としません」と巻紙に誓約の署名をさせ、球団代表と、杉山監督に渡し、「これで勘弁してやってください」とペコリ。
一気に事態が収束した。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM