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平松政次、西本聖、盛田幸妃……打者から恐れられた「シュートの名手」たち

 


 近年は右打者の懐に沈む「ツーシーム」が主流になり、胸元をえぐる「シュート」を投げる投手が減っている。手首やヒジの使い方が難しく、制球を間違えれば死球になる危険性をはらんでいるからだ。だが、打者の腰を引かせ、バットの根元で詰まらせて内野ゴロに仕留めることができる球種として、重宝された時代もあった。球史に残る伝説の「シュートピッチャー」を振り返ってみよう。

西鉄・稲尾和久


・稲尾和久(西鉄)
※通算276勝137敗、防御率1.98 勝率.668

 NPB記録のシーズン42勝、日本シリーズで5連投4完投など数々の伝説を打ち立てた鉄腕。球種は直球、スライダー、シュートの3つが大半を占め、抜群の制球力で打者を翻弄した。右打者は手元で鋭く食い込んでくる超一級品のシュートが残像に残り、ウイニングショットの外角に逃げるスライダーに踏み込めなかった。

大洋・平松政次


・平松政次(大洋)
※通算201勝196敗16セーブ、防御率3.31 勝率.506

 入団後に同僚から「こんな球しか投げられないのか」と言われ、怒りに任せてそれまで投げたことのないシュートを投げたところ、打者が驚く鋭い変化で「カミソリシュート」が誕生した。ほかの投手のシュートはバットの芯を外して内野ゴロに仕留めるイメージだが、平松のシュートは変化量が尋常じゃなく、右打者の内角を「エグる」軌道で空振りの山を築いた。


・東尾修(西鉄、太平洋クラウン、西武)
※通算251勝247敗23セーブ、防御率3.50 勝率.504

 西鉄で若手のときに河村英文投手コーチに伝授されたシュートが野球人生の生命線になった。スライダーを生かすために内角を突くシュートが死球になることも珍しくなく、現役20年間で与死球数165個は日本記録。死球を与えてもマウンドでまったく動じず、外国人に立ち向かっていく姿で「ケンカ投法」の異名を取った。

・西本聖(巨人、中日オリックス
※通算165勝128敗17セーブ、防御率3.20 勝率.563

 直球とほぼ球速が変わらず、キレ味鋭いシュートで内野ゴロの山を築いた。好調時は外角から内角にえぐってくるほどの変化だったという。ドラフト外入団で無名の存在だったが、剛速球で三振の山を築くライバル・江川卓と対照的な投球スタイルで、巨人の「ダブルエース」として活躍した。


・川崎憲次郎(ヤクルト、中日)
※通算88勝81敗2セーブ、防御率3.69 勝率.521

 川崎の代名詞としてシュートを連想する野球ファンが多いだろう。ただ、この伝家の宝刀を習得したのはプロ9年目の27歳だった。翌1998年に17勝をマークして最多勝、沢村賞を獲得。速球中心の三振を狙う投球スタイルから打たせて取る技巧派にモデルチェンジした。その後は右肩の故障に苦しんだが、輝いた時期の印象は強烈だった。

横浜・盛田幸妃


・盛田幸妃(大洋、横浜、近鉄)
※通算47勝34敗29セーブ、防御率4.05 勝率.580

 浮き上がるような軌道で打者に向かってくる140キロ近いシュート。「打席に立つのが怖い」と相手球団に嫌がられた。厳しい内角攻めで死球を与えても顔色一つ変えず負けん気も強かった。強打者・落合博満が特に苦手にしていた投手で通算50打数9安打、打率.180に抑え込まれた。脳腫瘍から復活して2001年に近鉄でカムバック賞を獲得したが、脳腫瘍が再発して15年に45歳の若さで亡くなった。

写真=BBM
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