チームがリードしている状況で救援として登板した投手が、そのリードを守って勝利した場合に「セーブ」が記録される。NPBのセーブの中には、なかなか達成されないような珍しいものもある。今回は、珍しいものや意外と知らないものなど、セーブにまつわる記録を紹介しよう。
現在では記録されないような珍記録も……
●まさかの1球も投げずにセーブ
普通は相手打者を抑えることで試合に勝ち、セーブが記録されるものだが、過去には打者に対して1球も投げずに「投球数0でセーブ」が記録されたことが2度ある。
一つは1980年10月2日の南海対阪急戦。5対3で南海リードの9回表二死から登板した
金城基泰は、一塁走者の
福本豊をけん制でアウトにし、これでゲームセット。0球セーブを記録した。世界の盗塁王をけん制で仕留めたのでインパクトも大きいセーブだった。
翌1981年6月4日の南海対
日本ハムの試合で2度目の0球セーブが記録されている。この試合は南海が8対7でリードの9回表二死で、南海の
三浦政基が登板。一塁にいた日本ハムの
井上晃二をけん制でアウトにして、再び南海の投手が0球セーブを記録することになった。
●1球投げただけで三振を奪ってセーブを記録
1球でアウトを奪い、セーブが記録された例は幾度となくあるが、その1球で「三振」を奪ってセーブが付いた例は過去1度しかない。2017年6月30日の
阪神対
ヤクルト戦、ヤクルトが4対3とリードして迎えた9回裏にヤクルトの
秋吉亮が登板。しかし、二死でカウント2−2としたところで暴投し、それが原因で負傷してしまう。降板した秋吉の代わりに
近藤一樹がマウンドに立ち、1球で三振を奪って試合終了。1球で三振とセーブが記録された唯一の例となった。
●最後に投げなかったのにセーブが記録
「リード状態で登板した投手が、リードを守ったまま最後まで投げ切った場合にセーブが付く」というルール上、中継ぎとして登板した投手にセーブが付くことはない。しかし、過去には中継ぎにセーブが記録されたことがある。
以前の野球規則では「救援として登板した投手が、同点や逆転されずにリードを守った場合にセーブ記録を与える」とされていた。つまり、セーブの対象が最後まで投げ切った投手に限定されていなかったのだ。当然ながら複数の投手がセーブの対象になるが、その場合は「記録員が最も有効な投球を行ったと判断した投手にセーブを与える」というルールに基づいてセーブ対象者を選んでいた。
そのため、記録員の心象によって中継ぎにセーブが付くことがあり、ルールが改正されるまでに8人の投手が中継ぎで登板したにもかかわらず、セーブを記録している。
・中継ぎ登板してセーブを記録した投手
足立光宏(阪急)1974年5月17日 対日本ハム
星野仙一(中日)1974年8月21日 対大洋
竹田和史(中日)1974年9月17日 対阪神
村上雅則(阪神)1975年4月6日 対中日
山本和行(阪神)1975年7月27日 対大洋
小坂敏彦(日本ハム)1975年8月15日 対南海
上田卓三(南海)1975年9月13日 対阪急
山本和行(阪神)1975年9月25日 対ヤクルト
●NPBで全球団からセーブ
NPBの全球団からセーブを記録した投手は過去5人しかいない。まずは先発と抑えの両方で活躍し、206勝193セーブというとんでもない記録を樹立した江夏豊だ。西武時代の1984年5月3日の日本ハム戦でセーブを記録し、これで全球団セーブを達成した。2人目は江夏から24年後の2008年。巨人のマーク・クルーンが達成し、2014年には
ソフトバンクの
デニス・サファテが偉大な先人に並んだ。2018年は
オリックスの
増井浩俊が古巣・日本ハム相手にセーブを記録し、全球団セーブを達成。2019年は日本ハムの秋吉亮がソフトバンク戦で史上5人目の全球団セーブ記録者となった。
過去5人いる全球団セーブ記録者だが、そのうち4人は交流戦開始以降の記録。そう考えると、移籍しないとリーグが異なるチームと対戦できなかった時代に達成した江夏の記録は、唯一無二だといえる。
セーブにまつわるさまざまな記録を紹介した。今シーズンは新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れているが、果たして普段とは様相の異なるシーズンで珍しいセーブ記録が飛び出るのか。開幕した際は、各球団の守護神の投球に注目だ。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM