・王貞治(巨人)
引退した年=40歳
※1980年 129試合出場、打率.236、30本塁打、84打点
※通算成績 2831試合出場、打率.301、868本塁打、2170打点
不滅の大記録「868本塁打」を放った王貞治は引退した1980年もすごかった。打率は規定打席をクリアした2年目以降で最低の数字だったが、19年連続30本塁打以上を達成。まだまだできると思われたが、11月4日に現役引退を表明し、「王貞治としてのバッティングができなくなった」と語った。引退表明から4日後のセ・リーグ東西対抗戦では、1本塁打を含む4安打と大活躍で、ファンたちが引退を惜しんだ。
・山本浩二(広島)
引退した年=40歳
※1986年 126試合出場、打率.276、27本塁打、78打点
※通算成績 2284試合出場 打率.290、536本塁打、1475打点
NPB史上唯一大卒で500本塁打を達成した長距離砲。地元・広島出身で絶大な人気を誇り、背番号「8」は球団史上初の永久欠番となっている。現役最終の1986年も主力として十分の働きだったが、大学時代から抱えていた持病の腰痛は限界に。同年はリーグ優勝を飾り、
西武との日本シリーズは第8戦までもつれこむ大熱戦。最終戦に敗れて日本一は叶わなかったが、試合後の広島市民球場は浩二
コールが巻き起こり、ナインに胴上げされた。
・江川卓(巨人)
引退した年=32歳
※1987年 26試合登板、13勝5敗、防御率3.51
※通算成績 266試合登板、135勝72敗3セーブ、防御率3.02
まさかの引き際だった。引退した1987年はプロ2年目から8年連続2ケタとなる13勝をマーク。エースとしてまだまだ活躍できると周囲は見ていたが、江川は違った。
阪神の新人・
八木裕に本塁打を打たれ、広島の
小早川毅彦に自信を持って投げ込んだ直球をスタンドに運ばれるなど衰えを自覚して引退を決断。2ケタ勝利できないときはやめるという信念を持ち、「来季は2ケタ勝利できない」として、球団の慰留を押し切り引退した。
・小林繁(巨人、阪神)
引退した年=30歳
※1983年 35試合登板、13勝14敗1セーブ、防御率4.05
※通算成績 374試合登板、139勝95敗17セーブ、防御率3.18
巨人のエースとして活躍していた1978年オフに球界を揺るがす「江川事件」の余波を受けて阪神へ移籍。翌79年に巨人戦で8勝をマークするなど22勝を挙げ、最多勝と2度目の沢村賞を獲得した。82年のシーズン終了後、「来季、15勝できなかったらユニフォームを脱ぎます」と宣言。右ヒジ痛に苦しみながら翌83年に13勝の好成績を挙げたが、本当に引退して周囲を驚かせた。現役最終年の13勝と引退した年まで8年連続2ケタ勝利は、奇しくも江川と同じ数字だった。
・黒田博樹(広島、ドジャース、ヤンキース)
引退した年=41歳
※2016年 24試合登板、10勝8敗、防御率3.09
※NPB通算成績 321試合登板、124勝105敗1セーブ、防御率3.55
※MLB通算成績 212試合登板、79勝79敗、防御率3.45
先発ローテーションで長年結果を残し、メジャー・リーグでも高い評価を受けた右腕。メジャーで5年連続2ケタ勝利を挙げた14年オフに、争奪戦となったメジャー数球団の高額オファーを蹴り、広島に復帰した際は大きな感動を呼んだ。ユニフォームを脱いだ2016年も10勝を挙げ、NPBで40代では史上3人目の2年連続2ケタ勝利を達成したが、チームが25年ぶりにリーグ優勝を果たしたことを区切りに引退を決断。
日本ハムとの日本シリーズ第3戦が現役最終登板となり、5回2/3で4安打1失点の粘投。最後の打者は
大谷翔平だった。
写真=BBM