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少ない出場試合数で最多本塁打のタイトルを獲得した選手は?

 

 現在、セ・リーグはDeNAネフタリ・ソトが2年連続で最多本塁打のタイトルを獲得している。加入1年目の2018年はふくらはぎに違和感があったため出遅れたが、5月に公式戦に初出場すると本塁打を量産。107試合と少ない出場数で41本を放ち、見事にタイトルを獲得した。今回は、このソトのように「少ない出場試合数で最多本塁打のタイトルを獲得」した例を調べてみた。

100試合以下でのタイトル獲得は?


近鉄・マニエル


 2リーグ制となった1950年以降で、最多本塁打獲得者の出場試合数を調べたところ、最も少なかったのは1951年の大下弘(東急)。「青バット」で知られる大下は、この年89試合の出場ながら26本塁打を放ちタイトルを獲得している(0.29本/試合)。そもそも1951年の東急は試合数が102試合しかなく、大下は8月に欠場していたため出場試合数が少なくなった。それでも出場した試合ではことごとく打ちまくり、最多本塁打だけでなく打率.383という驚異的な数字で首位打者にも輝いた。

 大下に次いで少ないのが1979年。この年のパ・リーグはチャーリー・マニエル(近鉄)が37本塁打を記録してタイトルを獲得しているが、出場は97試合と少なかった(0.38本/試合)。前年オフにトレードでヤクルトから加入したマニエルは序盤から本塁打を量産するが、6月に顔面に死球を受けて骨折してしまう。手術を行うことになったが、14試合欠場しただけで復帰。その後はフェースマスクを着けて活躍し、見事にタイトルを獲得した。

 1952年には杉山悟(名古屋)が出場99試合でタイトルを獲得している。開幕戦でいきなり2本放つと、その後も本塁打を量産。21試合で15本と驚異的なハイペースで打ちまくった。しかし、5月に入ると途端に打てなくなり、最終的に27本塁打でシーズン終了(0.27本/試合)。国鉄の杉浦清が2本差まで迫っていたが、序盤に稼いだ貯金で無事に逃げ切ることができ、本塁打王となった。

 100試合以上で最も少ないのは2014年のエルネスト・メヒア西武)と2012年のウラディミール・バレンティンで、106試合でタイトルを獲得している。シーズン開始から1カ月後の4月30日に入団したメヒアは、5月15日に公式戦初出場。するとその試合の第1打席でいきなり本塁打を放ち、NPB史上56人目の「初打席本塁打」を達成した。その後も本塁打を量産し、106試合の出場ながらチームメートの中村剛也と並ぶ34本塁打を記録(0.32本/試合)。史上初となる「途中入団での本塁打王」が誕生した。

DeNA・ソト


 冒頭でも挙げたDeNAのソトは、メヒアとバレンティンより1試合多い107試合で最多本塁打のタイトルを獲得(0.38本/試合)。5月になってようやく公式戦に出場したソトは、序盤は好調だったが、交流戦では24打席連続無安打と不調に陥る。しかし、試合を経験するごとに復調し、8月以降で21本塁打と驚異的なペースで量産。41本塁打でタイトルを獲得した。

 過去の本塁打王の出場数を調べたところ、100試合以下でのタイトル獲得は3例あった。このうち大下と杉山はそもそも年間試合数が少ないこともあり、100試合以下でのタイトル獲得につながった。今シーズンはくしくも杉山がタイトルを獲得した1952年のセ・リーグと同じ120試合。大下の89試合を下回る試合数でのタイトル獲得が起きる可能性もゼロではない。果たして記録更新となるか、今後の行方に注目だ。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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