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週べ60周年記念

中日・水原茂監督勇退/週べ回顧

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

これで現場からは引退か


右が水原監督、左は谷沢健一


 今回は『1971年10月25日号』。定価は90円。

「昭和9年に巨人が結成されてから今日まで……」
 1971年10月8日、シーズン最終戦の大洋戦が終わった後、川崎球場の1階の食堂で記者、カメラマンを前に淡々と語る中日水原茂監督。窓の外に鈴なりになるファンから「水原、やめるな、まだできるぞ」と絶叫に近い声がする。
 自身の野球生活を振り返り、中日のユニフォームに別れを告げた水原。おそらく、もはや現場に立つことはないだろう
 清々しい顔を見て、皆がそう思った。
「では…」
 そう言って立ち上がると記者団から拍手が起こった。廊下に出ると、途端にファンに囲まれ、胴上げだ。
 希代の名将にしては、寂しい去り際かもしれないが、それなりに感動的なシーンだった。

 退任のウワサはずっとあった。この年も序盤の低迷時にはバッシングされたが、後半戦しり上がりに調子を上げて2位に入ったことで、周囲から「もう1年お願いすべきだ」との声も大きくなっていた。
 しかし、水原はこの日、球団にも相談せず退任会見を行い、2日後、中日の球団社長から慰留されてもきっぱり断った。
 
 退任の理由について水原は「もう肉体的に監督稼業には耐えられない」と語った。
 中日の3年間は決して順風満帆ではなかった。江藤慎一を引退させたときの批判、黒い霧事件では小川健太郎など主力選手を次々失った。
 ただ、どんな逆風が吹こうと、この人はいつも毅然としていた。いつもプライド高き名将、「水原茂」であり続けた。

 島谷金二ら思い切って若手を起用し、また、戦う姿勢を選手たちに植え付けた貢献度は大きなものがある。
 たとえば、新人の稲葉光雄。10月3日、巨人との最終戦で完封勝利。最後の9回には王貞治相手に全球直球勝負でライトフライに打ち取った。王も「初完封がかかっているのに直球ばかりで勝負するとは見上げた男」と感心していた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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