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1983年日本シリーズ、西武・広岡達朗監督の巨人愛?

 

広岡監督の毒舌の真意は


今回の表紙


 1980年代を1年ごとに振り返る好調シリーズ。今月の発売は1983年になる。西武巨人を破って2年連続日本一となった年だ。
 主役はやっぱり、この人か……。

「江川の体は腐っている」
 西武・広岡達朗監督の衝撃的な毒舌がさく裂したのは1983年の球宴の時期だった。
 西武、巨人ともペナントレースを独走。シーズン中から日本シリーズが頭にあったのか、やたらと巨人を意識した発言があった。

 当時は挑発と思ったが、いまあらためて読むと、そこにあるのは「巨人愛」だ。腐っている発言は、江川卓という才能の塊のような男が鍛錬を怠り(広岡にはそう映った)、衰えていることをもったいないと嘆いているものだった。
 3年目の原辰徳を「若さがない」と言った後、中畑清のハッスルプレーを評価し、「うちにくれば幸せになれる」と言っているが、これも広岡監督の中に「巨人の選手はこうあるべき」という思いがあってこそだろう。

 広岡監督は前年の監督就任時から味方選手に厳しい言葉を掛けた。結果的には東尾修大田卓司のように、それに刺激を受け、「ナニクソ」と燃えた選手たちが優勝に導いた(田淵幸一は「ナニクソ」というより、いつの間にか心酔してしまった、と言ったほうがいいか)。
 これに対し、記者から「計算どおりでは」と水を向けられたことがあったが、
「私は、そんなことできない」
 と深読みを否定する。
 それが正しいと思ったから言った。ただそれだけだ、と。

 巨人選手への言葉も同様だろう。
 自身が青春のときを過ごした巨人軍。当時あった伝統の巨人魂が今のチームにあるやいなやと思ってではないか。

 さらに言う。
「今の球界は巨人を中心に回っている。巨人を倒してチャンピオンを獲らないと全国区になれない。いつまでたっても所沢の地方区だ」
 70年代までの強さはもうなかったが、当時セ、パの人気差は驚くほど大きく、そのセの主役が巨人だった。それは、この年の巨人戦平均テレビ視聴率27.1パーセント(歴代最高)が物語っている。

 日本シリーズの戦いについては長くなるので触れないが、史上稀に見る激闘で3勝3敗とした第6戦の後、広岡監督は、
「もうどちらが勝ってもいいんじゃないですか」
 と言ったという。
 自らの野球ができたことへの充実感だけでなく、相手に“残っていた”巨人魂の確認ができたということではないか。
広岡監督にとって、このシリーズの“裏テーマ”は「巨人魂」だったのだ。

 この年の巨人の話をもう一つ紹介する。
 83年秋、本誌の独占スクープで、病気入院中の川上哲治元巨人監督のお見舞いをするON、長嶋茂雄王貞治の写真と記事が掲載された。
 80年オフ、長嶋が監督退任の際、陰で動いたのが川上と言われ、2人は犬猿の仲とウワサされていた。
 長嶋は当時いわゆる浪人中。これで巨人復帰への障害はなくなったともいえるが、巨人は藤田元司監督の下、優勝に独走。しかも、その後を王助監督につなぐのは既定路線と言われていた。
 もし、長嶋がすぐにユニフォームを着るとしたら、熱いラブコールを送り続けていた大洋をはじめとする他球団しかない(西武、中日のウワサもあった)。
 オフ、実際、藤田から王へバトンタッチ。

「たられば」だが、もし王新監督が翌84年から優勝、日本一を飾っていたらどうなっていたのだろう。
 リアル球史では、王監督は88年限りで退任となっているが、就任初年度から優勝すれば、そのまま長期政権となった可能性もある。
 長嶋監督2期目はあったのか、王ダイエー監督はあったのか。ダイエーの隆盛をきっかけに、パがセに迫る集客力へV字回復を見せただけに興味深い。

 1980年代を振り返る、今シリーズは次回8月末発売の1984年編で完結となる。最後まで、ご愛読よろしくお願いします。

文=井口英規
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