捕手から内野、外野にコンバートすることで守備での負担が減り、打撃で球史に名を残す活躍をした選手たちがいる。バッテリーの配球を読む力や投手の癖など洞察力に長け、捕手を経験したことが野球人生の大きな財産になっている。捕手出身で違うポジションで大ブレークした選手たちを振り返ってみよう。
・衣笠祥雄(広島)
※NPB通算2677試合出場 打率.270、504本塁打、1448打点、266盗塁
平安高では強肩強打の捕手で甲子園に2度のベスト8進出。広島に入団後も新人の年は捕手で18試合に出場したが、当時の
白石勝巳監督の方針で内野手に転向。三塁でゴールデン・グラブ賞を3度受賞した。2215試合連続出場の日本記録を持ち、「鉄人」の愛称で知られる。フルスイングが持ち味で2543安打、504本塁打をマーク。76年に盗塁王、84年に打点王を獲得するなどオールラウンドプレーヤーだった。
・小笠原道大(日本ハム、巨人、
中日)
※NPB通算1992試合出場 打率.310、378本塁打、1169打点、63盗塁
暁星国際高、社会人・NTT関東では捕手だった。1997年ドラフト3位で日本ハムに入団すると、持ち味の打力を生かすため99年に一塁にコンバート。フルスイングを武器に2002、03年と2年連続首位打者を獲得し、06年には本塁打王、打点王の2冠に輝いた。巨人にFA移籍後も4年連続30本塁打と主軸として活躍。打率3割30本を9回達成は歴代2位の記録で、プロ通算2120安打と名球会入り。卓越したミート能力と長打力を兼ね備えた強打者だった。
・和田浩一(西武、中日)
※NPB通算1968試合出場 打率.303、319本塁打、1081打点、76盗塁
社会人・神戸製鋼から強肩強打の捕手として1997年ドラフト4位で西武に入団。正捕手だった伊藤勤(現中日ヘッドコーチ)の牙城を崩せず、2002年に就任した
伊原春樹監督の意向で外野手に転向した。同年に初の規定打席に到達し、打率.319、33本塁打と大ブレーク。05年には首位打者を獲得した。中日にFA移籍以降も10年にリーグMVPに輝き、15年に史上最年長の42歳11カ月で通算2000安打を達成。20代は計149安打だったが、30代以降で1901安打と遅咲きで名選手の仲間入りを果たした。
・山崎武司(中日、
オリックス、
楽天、中日)
※NPB通算2249試合出場 打率.257、403本塁打、1205打点、14盗塁
名門・愛工大名電で長距離砲の捕手として通算56本塁打をマーク。プロ入り3年目には捕手として8試合に出場した。打力を生かして1990年から外野手に転向。96年に39本塁打でタイトルを獲得した。その後は楽天で
野村克也監督と出会い、配球を読む打撃スタイルで39歳の07年に43本塁打、108打点で2冠王を獲得。プロ21年目での40本塁打、100打点での本塁打王、打点王は史上初の快挙だった。同年からの4年間で計136本塁打と主軸として活躍。プロ25年間で44歳までプレーした。
・江藤智(広島、巨人、西武)
※NPB通算1834試合出場 打率.268、364本塁打、1020打点、82盗塁
関東高(現・聖徳学園高)で通算61本塁打をマーク。強打の捕手で、「東の江藤、西の谷繁(元信)」と形容された。1989年ドラフト5位で広島に入団したが、当時不動の正捕手・
達川光男がいたことや、持ち味の打撃を生かすために91年から内野手に転向した。93年に34本塁打でタイトルを獲得すると、95年も39本塁打、106打点で2冠に輝くなど広島の強力打線で四番打者として長年活躍。FA移籍した巨人でも2年連続30本塁打と自慢の長打力を発揮した。
・飯田哲也(ヤクルト、楽天)
※NPB通算1505試合出場 打率.273、48本塁打、363打点、234盗塁
拓大紅陵高では強肩の捕手としてプロから注目された。1987年ドラフト4位でヤクルトに入団すると、90年に当時の野村克也監督に身体能力の高さを買われて内外野を守ることに。同年に二塁で定位置をつかみ、29盗塁をマークした。91年に中堅に再びコンバートされると、俊足強肩を生かした巧みな守備で同年からゴールデン・グラブ賞を7年連続受賞。92年には盗塁王を獲得した。一番打者で打線を牽引し、ヤクルトの5度のリーグ優勝に大きく貢献した。
写真=BBM