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週べ60周年記念

南海・野村克也監督の悩み/週べ回顧1971年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

仲間が次々と去っていく…


71年に達成した500号本塁打のトロフィーを持つ野村克也


 今回は『1971年11月22日号』。定価は90円。

 ペナントレース最終戦の直後、南海・野村克也監督がワールド・シリーズ観戦のため渡米した。
 選手兼任で監督に就任した70年こそ2位だったが、この年は4位と低迷。ホークス担当の記者は、帰国後、退任発表があるのでは、とウワサしていた。
 理由は成績だけではない。信頼していた人間が次々チームを去ったことで、野村が監督業に嫌気がさしているのでは、という推測からだった。

 最初は古谷法夫投手コーチだった。元国鉄の選手だったが、その後、社会人の日本通運でコーチになり、その育成手腕を野村監督が買っての招へいだったが、選手が指導された際、「それはアマチュアでしょ、プロではダメです」など、面と向かって言われるようになっていたという。
 9月30日、新山球団社長から古谷コーチのスカウトへの転身を通告され、さらに選手がフロントにいろいろ首脳陣批判をしていることも聞かされた。
 追い打ちをかけたのが、藤江清志渉外課長の退団だった。藤江は通訳としてコーチのブレイザーにつき、野村監督も厚い信頼を寄せていた。こちらは「球団に在籍した場合の将来に不安を持った」というのが、退団の理由だったらしい。

 藤江の退団が10月8日。さらに9日には、捕手の里見進が「ロッテ移籍か、もしくは退団を」と申し出てきた。里見はロッテからトレード会議(現役ドラフト)で獲得した選手で、ロッテ・大沢啓二監督からは「戻してくれないか」と何度となく話が来ていた。
 ただ、野村監督も里見を高評価し、コーチ補佐に昇格させようという話が進んでいたらしい。

 10月10日、まさに羽田を旅立つ前、報道陣に新しいコーチ陣をどうするか尋ねられると、
「まだ分からん。自分がやるかどうかも見当がつかんのに」
 と答えた。「みんな俺から離れていくのか」とも言っていたらしい。

 さらに28日に帰国すると皆川睦雄から現役引退の申し出があった。皆川は野村監督と同期のアンダーハンド投手。
「入団したときから同じ道を歩んできた。ファームも一緒、2人でレギュラーの座をつかんで、今までやってきた仲」
 と野村が話す親友だった。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

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