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週べ60周年記念

中日・水原茂監督の隠れた功績?/週べ回顧1971年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

セの地方開催はなぜ増えたのか


表紙は巨人堀内恒夫



 今回は『1971年12月20日号』。定価は90円。

 地味目な話を2つ。

 水原茂監督が退任した中日だが、その隠れた功績が話題になっていた。
 中日は地元ファンの愛着が強く、裏返しで味方選手へのヤジも激しい。ミスをすればすかさず、
「やめてしまえ」と罵声が飛ぶ。
 若手が委縮することも多く、結果的には監督が無難な起用、要はお客さんが納得する固定した顔ぶれで勝負する傾向が強くなっていたという。

 水原監督は、それを気にせず、若手を使い、江藤慎一らファンとのつながりの強い選手を平気で放出した。これでずいぶん批判をされたが、逆に少しずつファン気質が変わっていったのではないか、という声があった。

 典型が大島康徳だ。豪快なホームランがあれば、豪快な三振もある選手だったが、ファンはその三振にまで拍手を送った。
 しばらく優勝から遠ざかっていたことで、あきらめムードもあったのかもしれないが、ファンの側に「選手の成長を楽しみにする」見方が生まれてきたのではないか、という。

 これには少年ファンの増加もある。2、3年ほど前につくった「少年ドラゴンズ」の会員が最初の5000人から2万5000人に増え、名古屋の街でブルーのドラゴンズ帽子をかぶった少年たちが増えていた。
 
 ヤクルトが秋季キャンプを巡回制でやった。秋のオープン戦を絡めてだが、全国7か所を移動しながらやるというもの。
 ヤクルトは地方開催ゲームも増やす方向になっていたが、これは、もともと三原脩監督が「フランチャイズに縛られず、もっと地方開催を増やすべき」という考え方をしていたことに加え、親会社のヤクルトが各地に販売網を持っていることもある。
 一方、パは極端に少ないが、これは鉄道会社が親会社の球団が4つあり、地方開催のメリットが少ないから、という分かりやすい理由があった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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