一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 4位から8位までが入団拒否
今回は『1972年1月24日号』。定価は90円。
1971年秋のドラフト会議だが、
巨人が新人獲得で大苦戦をしていた。
72年1月8日時点で、1位の
横山忠夫、2位の
谷山高明、3位の
庄司智久の獲得は成功したが、4位から8位までの選手に断られていたのだ。
「巨人という名前だけで入団してくれたのが毎年の例なのに、今年ほど厳しく拒否されたのは初めてのこと」
と内堀スカウト。このときは“凶作”ドラフトとも言われたが、内堀の言葉からは巨人ブランドのおごりと、下位の選手は“入るはず”と安易に指名したことが伝わる。
これは一つ、スカウト部長がベテランの
前川八郎から
武宮敏明に変わったこともあった。
以前からスカウトの肩書きはついていたが、寮長のほうに軸足があった武宮が、スカウトの世界特有のやり方にうとかったというのだ。
実際、スカウトの事前交渉は禁止ながら、会社や学校に何らかの形で「指名するので、よろしく」と伝えるのが常識だったが、武宮はそれをしなかったらしい。
ただ、この惨敗にも巨人・佐伯常務は意気軒高だ。
「うちの二軍には、もしドラフトにかかればビッグ3にもビッグ4にでも入るのがうじゃうじゃいるんだよ」
王者のおごりは破滅への一歩でもある。ローマ帝国ではないが、巨人王国にきしみが感じられる。
なお、この4位から8位のうち、3人はのち翻意し、入団している。
うち1人が大丸の
小林繁だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM