現在、
中日のショートと言えば背番号1の
京田陽太が守っている。ルーキーイヤーの2017年に新人王に輝き、その年から不動のショートだ。
80年代の中日のショートは宇野勝だった。在籍通算334本塁打はチームトップ。打てるショートとして活躍し、84年には
掛布雅之(
阪神)と並んで本塁打王。2リーグ分立以後、ショートで初の本塁打王に輝いた。
珍プレーで何度も“ヘディング事件”が取り上げられたこともあり、名手のイメージはない。失策が派手だったのは確かだが、強肩で守備範囲も広く、美技も多かった。
実際に一塁を守った
落合博満は宇野の守備を高く評価し、「あいつの送球は一番捕りやすかった」と話している。
その宇野がショートのポジションを高卒ルーキーの
立浪和義に明け渡したのは、88年のことだった。「守備だけなら立浪のほうがうまい」と宇野自身が納得してセカンドに回ったという話があるが、これは事実ではない。
私は以前、その話を宇野自身にぶつけたことがある。少し納得できない部分があった。プロで何年も戦ってきた実績のある選手が、そんなに簡単に高卒ルーキーを認め、自分のポジションを譲るだろうか。
「タツ(立浪選手)は確かにうまかったけど、自分が負けているなんてまったく思っていなかった。でも星野(
星野仙一、当時監督)さんにタツをショートで使うからと言われたんだよ」
宇野は監督命令に従った。「チームのためにそうするんだと言われたら、そうするしかないからね。仕方がなかった」。ショートに愛着はあったが、すべてはチームのため。そしてその88年、中日は宇野-立浪の二遊間で6年ぶりの優勝を飾ったのだった。
文=牧野正 写真=BBM