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37歳の若さで急逝 「史上最高のユーテリティープレーヤー」とは

 

ドラフト外からのスタート


広島巨人で渋い働きを見せた


 今から10年前の2010年4月2日。巨人で内野守備走塁コーチを務めていた木村拓也さんが広島戦(マツダ広島)の試合前、シートノック中にグラウンドで倒れた。突然の出来事で木村さんに駆け寄る首脳陣、選手の表情がこわばる。懸命な治療が行われたが、5日後の7日にくも膜下出血のため広島市内の病院で帰らぬ人に。享年37歳。早すぎる別れだった。

 木村さんは「史上最高のユーテリティープレーヤー」と呼ばれる。ただの便利屋ではなく、替えの利かない選手だった。投手以外すべてのポジションを守り、しかもその守備能力は高い水準を誇る。勝負強いスイッチヒッターで代打成功率は毎年リーグトップクラスをマーク。代走でも俊足と状況判断に優れていた。ベンチに控えていたらこれほど頼もしい選手はいないだろう。

日本ハムでは支配下登録から外れたことも


 このプレースタイルはプロで入団後に挫折を味わいながら、鍛錬を積み重ねて見出した「生きる道」だった。進学校の宮崎南高では強肩強打の捕手として高校通算35本塁打をマーク。しかし、身長170センチと小柄だったこともあり、ドラフト指名からは漏れて1990年オフにドラフト外で日本ハムに入団する。入団後すぐに支配下登録選手から外れ、試合に出場できない練習生扱いに。プロの厳しさを味わったが、気持ちは折れなかった。2年目の92年に外野にコンバートされ、94年には主に守備固めで自己最多の83試合に出場する。

広島で地道に実績を重ねていった


 与えられた環境で求められる役割を全うした。94年オフに長冨浩志との交換トレードで広島移籍すると、二塁、遊撃の練習に取り組み、96年からスイッチヒッターにも挑戦。プロ10年目の2000年に全試合出場で打率.288、10本塁打とレギュラーをつかむと、同年から4年連続130試合以上出場。04年に開催されたアテネ五輪で当時の長嶋茂雄監督から「絶対に必要な選手」と信頼を寄せられ、メンバーに選出されている。

 そして、06年シーズン途中に山田真介との交換で巨人にトレード移籍。若返りを図るチーム方針で出場機会が減少したためトレードを志願したが、選手層が厚い巨人への移籍に心配の声が多かった。だが、巨人にとって木村さんはチームに必要な人材だった。03年から4年連続V逸と低迷する中、複数のポジションをこなし、攻守走で高い水準のパフォーマンスを発揮できるユーティリティ、若手の手本になるプロ意識がチームに大きな影響をもたらす。06年に代打で26打数12安打、打率.462、出塁率.500と驚異的な数字をマーク。
07年、08年と100試合以上出場し、若手を引っ張るチームリーダ格として不可欠な存在になる。

巨人のリーグ3連覇に貢献


急きょ捕手を務め、原監督に労われる


 木村さんのすごさを物語る試合が09年9月4日のヤクルト戦(東京ドーム)だ。8回から代打で途中出場したが、延長11回裏に加藤健が頭にデッドボールを受けて退場。阿部慎之助鶴岡一成も途中交代して捕手不在の状況だったため、10年ぶりに木村さんがマスクをかぶることに。スタンドがどよめく中、豊田清藤田宗一野間口貴彦と3投手をリードして無失点とチームの窮地を救う。背中を叩いて労をねぎらった原監督は「困ったときの拓也頼み。あそこは託すしかなかった。冗談も言えません。よく救ってくれた」と絶賛した。

 巨人は07年からリーグ3連覇を飾る。チームの歯車になって献身的に支えた木村さんの存在はあまりにも大きい。09年限りでプロ19年間の現役生活に終止符を打った。通算成績は1523試合出場、打率.262、53本塁打、280打点、103盗塁。1049安打を記録したが、この数字で測れないほど、目に見えない貢献度は高かった。

 東京ドームで開催された引退セレモニー。「19年間、たくさんの人と出会い、たくさんの監督、コーチ、そしてたくさんのチームメートに出会いました。みんなに支えられた野球人生でした。僕は本当に幸せ者でした。ジャイアンツには最後の4年間でしたが、素晴らしい経験をさせてもらいました。日本一、リーグ優勝3回、本当に充実した4年間でした。この東京ドームの大歓声が僕のプレーを後押ししてくれました。ファンの皆様、本当にありがとうございました」と感謝を口にした上で、涙をこらえながらこう伝えた。「家族に一言言わせてください。今まで支えてくれてありがとう。パパは頑張ったよ!」。

 引退翌年の10年から巨人の一軍内野守備走塁コーチに就任し、指導者としても将来を嘱望された。突然の別れに、10年経った現在もショックが癒えることはない。ただそのプレー、人柄に接してきた野球界の首脳陣、選手、スタッフたちに木村さんの魂、生き様は引き継がれている。史上最高のユーテリティープレーヤー・木村拓也。今後も野球ファンに語り継がれる名選手だ。

写真=BBM
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