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日本でのプレーは1年のみ…93試合で31本塁打放った「伝説の黒船」とは

 

想像を超えた打棒


バリバリのメジャー・リーガーだったホーナー


 93試合出場で打率.327、31本塁打。規定打席に届かず、日本のプロ野球でプレーしたのはわずか1年間だけだったが、規格外の打撃で強烈な衝撃を残した選手がいる。ヤクルトボブ・ホーナーだ。

 ホーナーはアマチュア時代から将来を嘱望された長距離砲だった。アリゾナ州立大学でNCAA(全米大学体育協会)通算58本塁打、シーズン25本塁打と当時の新記録を樹立。1978年のMLBドラフト全体1位でブレーブスから指名を受ける。マイナー・リーグでの出場を拒否し、6月にメジャーデビューする異例のケースで初出場初本塁打を飾ると、同年に89試合出場で打率.266、23本塁打をマーク。オジー・スミスを抑えて新人王を獲得する。

 その後も79年に33本塁打、80年に35本塁打を放つなどメジャー通算215本塁打を積み上げた。だが、86年オフにFAになると想定外の事態に。年俸高騰により各球団がFA選手の獲得を敬遠したため、ホーナーも所属球団が見つからない。浪人寸前の87年4月13日に契約を結んだのがヤクルトだった。

 現役バリバリのメジャー・リーガーの来日に関心が集まったが、想像を超えた打棒で日本列島を震撼させる。5月5日のデビュー戦となった阪神戦(神宮)で仲田幸司から右翼ポール際に来日初アーチを放つと、6日の2戦目は池田親興から3発の特大弾。相手ベンチが唖然とするスイングで次元が違った。3戦目で事実上の敬遠により3打席勝負させてもらえなかったのも、ホーナーのすごさを物語っている。4戦目の広島戦(佐世保)で白武佳久から2本のアーチを放ち、開幕4試合で11打数7安打、6本塁打。この活躍はペリーの黒船来航になぞらえて「黒船」「赤鬼」と形容され、「ホーナー旋風」は大きな話題になった。

 シーズン途中に腰痛を発症したため本塁打の量産ペースは落ちたが、それでも93試合出場で31本塁打をマーク。この年に本塁打王を獲得したのは広島のランスで39本塁打だったがその偉業がかすんでしまうほど、ホーナーの強烈な活躍は社会現象になった。チームはBクラスに低迷したが、神宮球場の観客動員数は前年の178万7000人から24パーセント増の221万5000人と年間200万人を初めて突破。ホーナーの本塁打を見るために多くのファンが球場に駆け付けた。

 グラウンド外でも大人気に。ヤクルト製品のコマーシャルに出演し、「おなかに菌力」と日本語のセリフでお茶の間の知名度が上がった。サントリー缶ビールのコマーシャルでは薬師丸ひろ子と共演。ハドソンのファミリーコンピュータ向けゲーム「桃太郎伝説」に登場する敵キャラ「あかおにホーマー」のモデルにもなるなど、そのキャラクターが愛された。

野村監督も「わが意を得たり」


バッティングでは頭も使っていた


 翌88年にメジャー復帰したため、日本でプレーしたのはわずか1年だった。本塁打ばかりフォーカスされるが、大振りで力に任せて振り回すのではなくコンタクトを重視した打撃、走塁の際も全力疾走で内野安打をもぎ取るなど日本野球に真摯に向き合ったプレースタイルでチームへの貢献度は非常に高かった。

 現役引退後の93年。ヤクルトのユマ春季キャンプに臨時コーチとして招聘されたホーナーは、「バッティングは80パーセントが頭で決まる。データを駆使して投手の配球を読んで打つんだ」と熱弁した。ID野球の浸透を図っていた当時の野村克也監督は「わが意を得たり。俺と同じ考えだ」とうなったという。

写真=BBM
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