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カッコいいものから珍名まで…野球選手の異名あれこれ

 

 野球選手にはその活躍やプレー、または見た目からさまざまな異名が付けられることが多い。例えば、王貞治の「世界のホームラン王」や長嶋茂雄の「ミスタージャイアンツ」は、普段野球をあまり見ないという人でも知っている有名なもの。今回は、こうした野球選手の異名を紹介する。

40歳となった1988年、打率.311、44本塁打、125打点をマークし、本塁打、打点でタイトルを獲得した門田


●「不惑の大砲」 門田博光

 40歳を超えて打撃タイトルを獲得した門田博光は、40歳を意味する「不惑」(孔子の『論語』を由来とする言葉)を用いて、「不惑の大砲」と呼ばれた。門田の活躍も相まって「不惑」は当時の流行語にも選出されている。

●「ミスターフルスイング」 中村紀洋

 異名は選手の特徴や見た目を参考に付けられることが多いため、例えばスラッガーの場合は強打をイメージする異名が多い。近鉄の主砲だった中村紀洋も、常に強振することから「ミスターフルスイング」の異名が付けられた。

●「安打製造機」 榎本喜八張本勲イチロー

 最初に安打製造機と呼ばれたのは、「求道師」とも呼ばれるほど自らの打撃に向き合った榎本喜八。2000安打の最年少記録はいまだに破られていない。その後、張本、イチローといった希代のヒットメーカーにこの異名が付けられるようになった。

星稜高時代から貫禄のあった松井


●「ゴジラ」 松井秀喜

 松井がゴジラと呼ばれるようになったのは高校時代から。当時の松井は「怪獣」と呼ばれていたことから、スポーツ新聞の記者が「ゴジラ」と名付けて新聞の見出しに使ったことで定着したのだ。

●「鉄人」 衣笠祥雄金本知憲

 元祖・鉄人は広島で2215試合連続出場を果たした衣笠。17年間休まずに出場し続けた鋼の肉体の持ち主だった。その後、広島、阪神でプレーした金本が1492連続試合フルイニング出場の大記録を樹立。偉大な先輩に続き、鉄人の異名を得ることとなった。

●「8時半の男」 宮田征典

 1960年代の巨人リリーフ陣を支えた名投手。その活躍から、リリーフ投手にもかかわらずオールスターのファン投票で1位になったこともあった。リリーフのため、試合終盤の夜8時半前後に登板することが多く、この異名が付けられた。

常に真っ向勝負する姿がファンを魅了した津田


●「炎のストッパー」 津田恒実

 脳腫瘍のため、32歳と若くしてこの世を去った広島のストッパー・津田恒実の異名。変化球はほとんど投げず、最速150キロを超えるストレートで勝負する投球スタイルは多くのファンを虜にした。その打者に敢然と立ち向かう姿から「炎のストッパー」の異名が付けられた。

●「優勝請負人」 工藤公康

 工藤は現役時代、西武、ダイエー、巨人と在籍したチームのほとんどで先発の柱として活躍し、いずれもリーグ優勝と日本一を経験している。そこで付けられたのが「優勝請負人」の異名だった。監督としてもチームを4度の日本一に導いており、優勝請負人の異名は伊達ではないようだ。

代打男としてファンからの人気が高かった川藤


●「球界の春団治」 川藤幸三

 川藤はレギュラーとしてはプレーできなかったが、勝負強い打撃で長くチームを支えた人気選手。豪快な言動も人気の要因で、その型破りな様が落語家の桂春団治のようであったことから、「球界の春団治」と呼ばれるようになった。

●「銀座の盗塁王」 柴田勲

 巨人史上最高のリードオフマンとして知られる柴田だが、若き日は夜な夜な銀座に繰り出していたため、「銀座の盗塁王」と呼ばれた。試合終了から30分後には銀座の店にいたこともあるほどだったという。

 球史を彩った選手の異名をピックアップして紹介した。その選手のプレーや特徴を見事に表現しているものもあれば、「なんだそれは」と思える変わったものもあっただろう。ぜひこの機会に、皆さんが好きだった選手の異名を振り返ってみてはいかがだろうか?

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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