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巨人で守護神も開幕から19日で退団 解雇当日に「浅草観光」した助っ人とは

 

「50セーブを目指したい」


V奪回の使者と期待されたが、開幕ダッシュ失敗の戦犯となったミセリ


 外国人選手の獲得は非常に難しい。前評判が高くても日本球界で活躍できずに去る選手は少なくない。ただ、これほどファンが落胆させられた助っ人はいないだろう。巨人の球団史上最速の4月に解雇されたダン・ミセリだ。

 ミセリは父親がエンジニアの仕事をしていたため、幼少期からメキシコ、ブラジル、ウルグアイ、イタリアなど世界各国を転々としていた。そのため、英語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語の4カ国語を習得。異国の文化に深い興味を示す性格は、育った環境が大きく影響しているのかもしれない。

 1990年にロイヤルズにドラフト外で入団すると、95年には抑えで21セーブをマーク。98年には67試合登板で10勝5敗の好成績でパドレスのワールド・シリーズ進出に貢献する。2004年もアストロズで74試合に登板し、6勝2セーブを挙げた。メジャー12年間で579試合登板、41勝48敗35セーブの実績をひっさげて04年オフに巨人へ。入団会見で「メジャー6球団からオファーがあったが、新たな野球にチャレンジできるチャンスだと思った」と明かした上で、「50セーブを目指したい」と力強く誓った。守護神として期待は大きかったが、待ち受けていたのは悪夢だった。

 オープン戦から危険な兆候はあった。直球は常時150キロを超えるという触れ込みだったが、140キロ前半と球速が出ず痛打を浴びた。4月1日の開幕・広島戦(東京ドーム)で1点リードの9回表にデビュー登板も、ラロッカに同点本塁打を浴び、緒方孝市にも勝ち越し弾を打たれるなど3失点で逆転負け。4月5日の横浜戦(横浜)も同点の12回に登板したが、多村仁にフェンス直撃のサヨナラ打を浴びて敗戦投手に。精彩を欠いた投球内容で首脳陣から二軍再調整を促されたが、「本人の同意なしに二軍に落とせない」という契約事項を理由にミセリが拒否した。

 翌6日の横浜戦(同)で延長11回に巨人が1点リードすると、横浜ファンから「ミセリコール」が沸き起こる屈辱的な光景も。7日の横浜戦(同)で5点ビハインドの6回に登板したが、多村にはツーランを浴びるなど1回3失点で降板。「こんなリトルリーグみたいに狭い球場でやっているからだ」と報道陣に発言して波紋を呼んだ。10日の中日戦(東京ドーム)では10点ビハインドの場面で登板し、2安打を打たれるが4度目の登板で初の無失点に抑えたが、敗戦処理はメジャー・リーガーのプライドが許さなかったのだろう、17日のヤクルト戦(神宮)には山本功児ヘッド、阿波野秀幸投手コーチとの3者会談で右肩痛を訴えた。

現役引退をほのめかしたが……


 首脳陣は再度二軍降格を打診するが、頑なに拒否。チームへの影響を考慮し、96年、5月2日に自由契約となったジェフ・マントを上回る開幕から1カ月も経たない4月19日に球団史上最速で解雇した。4試合登板で0勝2敗、防御率23.63。ミセリは解雇当日に東京ドームに姿を見せて荷物をまとめたあと後に、妻子とともに浅草観光に出かけて人力車に乗る姿がメディアで報じられて話題になった。

「勝つための姿勢をいかに早くつくるかが大事なので決断した。補強失敗の研究をきちっとして、こういう事態を繰り返さないようにしたい」と、桃井恒和球団社長は反省と切り替えの大切さをしきりに強調したが、球団のプランも大幅に狂った。05年は救援陣が崩壊状態に。62勝80敗4分の5位と8年ぶりのBクラスに沈み、堀内恒夫監督は同年限りで退団した。

 ミセリは日本球界を去る際に現役引退をほのめかしていたが、米国帰国後の5月19日にロッキーズとマイナー契約を結び、6月にはメジャー復帰する。06年にはデビルレイズ(現レイズ)で33試合登板した。「史上最悪の助っ人」とも酷評された右腕。外国人の能力を判断するのは本当に難しい。

写真=BBM
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