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「超高校級の逸材」もプロで3勝のみ キューバを驚かせた150キロ左腕とは

 

高校時代にまばゆい輝き


大型左腕として期待され、巨人に入団した小野


 アマチュア球界で「最も凄かった左腕」として、今も語り継がれている左腕がいる。巨人、近鉄でプレーした小野仁だ。

 身長187センチの長身から繰り出される剛速球とキレ味鋭いカーブ。秋田経法大付属高(現ノースアジア大学明桜高)で2年時に春夏連続で甲子園に出場している。いずれも初戦敗退。だが、その投球を目にした人間を魅了するまばゆい才能があった。センバツの鳥取西戦で16安打7四死球9失点と打ち込まれる一方で15三振を奪い、その潜在能力が注目された。粗削りで不安定だったが、ツボにはまったときは「プロの打者も打てない」とスカウトに評価されるほどのすさまじい球を投げていた。2年秋の東北大会準決勝では東北高のエース・嶋重宣(現西武二軍打撃コーチ)と延長16回の激闘。0対1でサヨナラ負けしたが、嶋の19奪三振に対して小野は24奪三振と圧巻の投球で、「伝説の投手戦」として東北で語り継がれている。
 
 高3時に開催された世界選手権では高校生で史上初の日本代表に選出された。キューバとの親善試合で、強打者のパチェーコ、リナレスを2者連続で3球三振に仕留める快投。「超高校級の逸材」と評価が急上昇し、ドラフト1位で複数球団の競合は確実と言われた。
 
 小野はこの時点でプロ入りしなかった。アマチュアの関係者は「高校時代が最もすごかった。あのときにプロに行っていれば」と口をそろえる。日本石油(現JX−ENEOS)へ進み、96年のアトランタ五輪に出場したが、投球フォームを崩すなど社会人時代は目立った成績を残せなかった。それでも、150キロを超える本格派左腕は稀有な存在だ。「将来のエース」と嘱望され、97年に逆指名で巨人に入団する。

 能力は文句ない。だが、一軍と二軍でまったく別人になってしまう。二軍では1試合20奪三振、ノーヒットノーランを達成するなど格の違いを見せつけたが、一軍では5連続四球で全くストライクが入らずに降板するなど、精神面の弱さを露呈した。「二軍の投球を一軍でそのまま出せば誰も打てない」と周囲に言われたが、一番悩んでいたのは小野自身だった。制球難を克服するためサイドスローにするなど試行錯誤を重ねたが、長いトンネルから抜け出せなかった。

近鉄に移籍も……


 2002年にファームで防御率1.68をマークしてタイトルを獲得したが、長期的な視点で見守られていた若手のときと違い、首脳陣の評価は「二軍の帝王」に変わっていた。同年オフに永池恭男とともに中濱裕之吉川元浩との交換トレードで近鉄へ移籍。しかし、環境を変えても輝きは取り戻せなかった。03年4月15日のウエスタン・リーグの広島戦で6連続を含む8四死球の大乱調。打者と戦う以前にストライクが入らない。現役最後の年は一軍登板なしで、ファームでも防御率31.91。1年限りで近鉄から戦力外通告を受けた。

 その後はツインズとマイナー契約を結んだが結果を残せず。05年11月の12球団合同トライアウトに参加するが、3四球と制球難が最後まで解消できなかった。現役通算36試合登板で3勝8敗、防御率5.77。大きなロマンを抱かせた「超高校級の大器」は少しのきっかけで大ブレークしていたかもしれない。育成の難しさを痛感させられる大型左腕だった。

写真=BBM
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