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週べ60周年記念

巨人コーチ、福田昌久の伝説/週べ回顧1972年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

左右打ちのノッカー


コーチ時代の福田。アイデアマンだったらしい



 今回は『1972年2月28日号』。定価は120円。

 1963年、南海から巨人に移籍した福田昌久。代打、守備固めがメーンの外野手だったが、移籍時、2つのウワサがあったという。
 1つは、南海・鶴岡一人監督が「天下の川上も福田の観兵式にだまされたか」とつぶやいた話だ。
 観兵式、いわゆる軍事パレードだ。巨漢の福田は、とにかく打球がすさまじいが、それはバッティング練習のみで、試合になるとカーブがまったく打てず、クルクル空振り。
 ただ、打撃練習を見た人は、「おお、すごいな」と必ずなる。
 しかも福田は怪力で鳴らし、タイヤをたたく打撃練習では軸のなる支柱を折ってしまったりする。もちろん、パワーだけでヒットは打てない。
 
 もう一つは鶴岡監督が巨人・川上哲治監督にこう言ったという話だ。
「現役としては大したことがないが、軍師としてなら役立つ」
 実際、選手としてはパッとしなかったが、引退後コーチ補佐からスタートし、一軍コーチも務めた。

 以前、福田を麻雀の達人として紹介したことがあるが、確かにクレバーでアイデアマンだったらしい。
 ノック名人とも言われたが、右打ちながら「打者は右だけじゃない」と左でもし、これを器用にこなしたり、三塁コーチとしては手袋で内側を赤、甲を青にし、信号のように走者にサインを出したという。
 さらに外野手の送球へのアドバイスも面白い。後ろの打球を処理した後の送球をスムーズにするため、各ベースの背景となるフェンスのCMを使い、「〇〇食品に向かって投げろ!」と指示するというものだ。

 ちなみにネタは近藤唯之さんの連載から。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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