一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 不穏な? 柴田、堀内の相部屋
今回は『1972年3月6日号』。定価は100円。
巨人の宮崎キャンプで兼任コーチとなった
長嶋茂雄が燃えていた。
練習中もそうだが、若手をつかまえ、アドバイスを送る。夜には大広間で素振りをしながら打撃指導する。
「どっしりと体の中心線上に顔が正確にこなければいけない。顔の向きもアゴの角度、目の向きがほんの1ミリ違ってもあとのフォームがすべて狂うんだ。俺のこのフォームは過去14年かかってやっとつかんだものだよ。しかし、参考になるはずだから、みんなもどんどん盗んでくれ」
感性の男であることは確かだろうが、その陰に理論と努力があったことを感じさせる。
2月17日の練習は夜9時から始まり、いつの間にか12時半。長嶋は「夢中に話し続けていて気がつかなかった」と話していた。
当時の巨人の宿舎は大抵が3人部屋、2人部屋。部屋割もいつも話題になったが、少しザワザワしたのが、
堀内恒夫、
柴田勲の相部屋(ほか阿野もいて3人)。
柴田は「監督がお前、見てやってくれって。貧乏くじというか、幸運のクジというか」と苦笑。
実は、2人は不仲と言われていた。それを柴田に言うと、
「ま、ご想像にお任せしますけど、両方もう子どもじゃない。決してそんな仲じゃないですけどね。適当にやりますよ」
と笑っていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM