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青学大の一部復帰に河原井前監督の「ありがとう!」と一つの注文

 

新体制で二部を勝ち抜く


かつて青学大で黄金時代を築いた河原井正雄前監督は今秋、東都大学二部リーグ戦を観戦。スタンドで後輩たちの二部優勝を見守った


 学生たちにかけたい言葉は何ですか?

 かつての「戦国東都」の名将は、こう答えた。

「よくやった! ではありません。ありがとう! この言葉しか、思い浮かびません」

 東都大学二部リーグの最終戦(対拓大2回戦、11月5日)をネット裏で観戦した青学大・河原井正雄前監督は、ホッと胸をなでおろした。

 すでに、このラストゲームを迎える前に、青学大の二部優勝は決まっていた。Vの可能性を残していた日大が第1試合(対専大2回戦)で敗戦(7勝3敗)。仮に青学大が第3試合の拓大2回戦で敗れた場合は7勝3敗の同率も、当該成績(青学大が日大に連勝)により、青学大が上回る。2014年秋を最後に二部に低迷していたが、来春の一部復帰を決めている。

 東都大学リーグ12度、全日本大学選手権4度の優勝、明治神宮大会2度の準優勝。この青学大の栄光はすべて、1987年秋から率いた河原井監督の功績である。しかし、2014年秋に二部へ降格し、監督を退任した。60歳で一区切りをつけたのだった。以降、アドバイザーとしてチームを支えるが3年間、二部での低迷が続く。河原井氏は17年12月に名門再建のため再登板したが、18年は春4位、秋3位と一部復帰へと導けず、1年で退任した。翌19年7月に65歳の定年を控えていたため、当初から「1年勝負」と決め込んでいたのだ。

「落としてしまった責任があった。もう1回、踏ん張ってやろうと思ったが……。一つ間違えれば、二部三部入れ替え戦の可能性もあった。苦しかった。落ち込みました……」

 2019年1月、青山学院高等部を20年率いていた安藤寧則氏が青学大の新監督に就任した。河原井氏の教え子に当たり「安藤が一人では大変だろう」と、09年から17年まで社会人野球・東芝の投手コーチを歴任した中野真博コーチを呼び寄せた。河原井氏が監督復帰した1年間(18年)には週1回のコーチを要請するなど、かねてから中野氏の指導力を買っていた。河原井氏は19年2月に大学を退職し、中野氏は19年4月1日から大学職員となり、野球部コーチに就任した。つまり、3月31日限りで東芝を退社したのだった。

一部リーグで生き残るには


「安藤−中野」体制の2年目で、一部復帰。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、春のリーグ戦は中止。今秋は一部二部入れ替え戦を開催しないため、二部優勝校が一部へ自動昇格するという異例の形式が取られた。

 この入れ替え戦こそが「戦国・東都」と言われる同リーグの醍醐味だ。神宮球場での試合が約束される一部と、公営球場での開催する二部とは、環境面と注目度からも雲泥の差がある。母校野球部への愛着が強いからこそ、河原井氏には、一つの注文があった。

「私も朝から(青学大戦よりも先に行われる第1試合の)日大戦の結果を気にしていました。他力でなく、自分たちの力で勝つという考え方もありますが、そこまで積み上げてきた数字(開幕7連勝)があるからこその優勝ですので、立派です。うれしい一方で、優勝をかけた最後の試合で勝つという、本当のプレッシャーを感じさせてやりたかった思いもあります」

 河原井氏は二部優勝を受けた、青学大の第3試合前のウォーミングアップが気になったという。昨年9月から母校・桐生高(群馬)を教えている。現場で指導する厳しい視線は、決して衰えていない。

「あくまでも私の目に映っただけかもしれませんが、チャラけているように見えたんです。果たして、優勝をかけた一戦でもそういう姿勢だったのか? と。締めないといけない」

 冒頭の「ありがとう!」は、学生を労うだけではなく、勝負師からのメッセージ。しかし、これも期待の裏返しだ。百戦錬磨の一部リーグで生き残っていくには、スキを見せてはいけない。青学大は結果的に拓大2回戦を7対0で快勝したが、一部ともなれば、さらに、気の抜けない戦いが続いていく。奇しくも、安藤監督は試合後「本当の『一部復帰』と言えるのか――」と率直な思いを語った後に「日本一を目指せる権利を得た。しっかりやっていきたい」と襟を正した。3年生以下は、河原井氏の「声」をどう受け止めるのか――。これから冬場のオフシーズンに入るが、来春の開幕まで、浮かれている時間はないはずだ。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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