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日本人メジャーの軌跡

マイナーから夢を実現させ先発ローテに定着した大家友和/日本人メジャーの軌跡

 

大家友和は1993年のドラフトで横浜(現DeNA)に3位指名を受けて京都成章高から入団。それから5年間在籍して1勝を挙げただけで、1999年に戦いの舞台をアメリカに移した。

フューチャーズ・ゲームで世界選抜の先発


横浜からレッドソックスとマイナー契約した大家


 日本での1勝は1年目の4月29日。ヤクルト戦の8回に登板し、その裏にチームの逆転で白星を手にした。当時、横浜の担当記者をしていた筆者は「横浜の大家が太田幸司以来24年ぶりに、高校出1年目の4月に勝利投手になった」という記事を書いた覚えがある。

 だがその後は一軍での勝ち星は付かず。1997年オフにアメリカの教育リーグに参加しメジャーへのあこがれを募らせる。98年にはイースタン・リーグで最優秀防御率も一軍登板は2試合のみ。そのオフに直談判し自由契約にしてもらい、レッドソックスとマイナー契約を結んだ。2Aでプレーし、8連勝をマーク。6月には3Aに昇格。7月11日にフューチャーズ・ゲームで世界選抜の先発を務めた。

 それから1週間ほど経った7月19日のマーリンズ戦ではメジャー初登板。先発し1回0/3を5失点で敗戦投手になった。23日のタイガース戦でも先発して4回2/3を7失点で連敗。翌24日にマイナーに降格した。2試合で0勝2敗、防御率14.29。このとき大家は「あれだけ打たれてこんなことを言ったら笑われるけど、自信がついた。いや、自信というと言葉が違う。確信かな? これまでやってきたことに間違いはない。自分がしっかりしていればメジャー・リーグでやっていけると思った」と、手ごたえを口にしていた。

 その言葉のとおり、99年10月1日のオリオールズ戦で初勝利を挙げた。2001年の途中にエクスポス(現ナショナルズ)にトレード後は先発投手に定着。結局メジャーで3度2ケタ勝利を挙げた。通算先発178試合は日本選手で4位。通算51勝(68敗)は8位である。50勝以上しているのは大家のほか6人いるが、負け越しているのは大家だけだ。必ずしもエリート街道一直線というわけではなかった大家にとって、むしろ勲章のようにさえ思えてしまう。(文中敬称略)

『週刊ベースボール』2020年11月9日号(10月28日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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