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週べ60周年記念

大沢ロッテ、アリゾナに出発/週べ回顧1972年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

威勢のいい大沢節の陰で


ロッテ木樽正明。おそらく前年の写真か


 今回は『1972年3月27日号』。定価は100円。

「世間では3割打者を2人も出したと、俺を●●●扱いするヤツがいるが、俺はちゃんと計算したうえで2人をトレードしたんだ。なんで自分の首を絞めるようなことをする」
 中軸打者の江藤慎一、ロペスを放出したことが疑問視されていたロッテ・大沢啓二監督の言葉だ。

 春季キャンプでは自ら作成した練習メニューで大半をチームプレー、守備練習に費やした。
「優勝するためにはチーム打率2割5分で十分。俺はこのメンバーでも勝てると思っている。3割バッターたってランナーのいないときばかりに打っているんじゃなんにもならない。
 俺が本当に欲しているのは、ここぞというときに打ってくれる打率2割5分から6分くらいの打者よ」
 
 しかしアリゾナ・キャンプ前のオープン戦は2勝3敗。しかもさっぱり打てなかった。
 アリゾナ出発前の壮行会。大沢監督は、
「今年のロッテは弱い弱いと言われるが、そんなことはない。黙って俺についてきてくれ!」
 と若親分らしく威勢のいい言葉をかけた。

 ただ、本音はどうだったのだろう。70年に優勝したチームを引き受け、おそらくは「好きなようにしていい」と中村長芳オーナーには言われたはずだが、一軍監督の経験もない40歳。南海黄金時代の見本があったにせよ、背伸びはしていたはずだ。

 3月10日の渡米時、直前になって大黒柱の1人、木樽正明が腰痛で断念となったが、大沢監督は羽田空港に見送りきた木樽を見つけると、
「俺もぎっくり腰のケがあるから、お前の気持ちがよう分かるんや。まだ開幕まで1カ月もあるんだから、あせらず日本で調整してくれよ」
 と声をかけた。話しているうちに大沢監督の目に涙が浮かんできたという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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