多岐にわたる裏方としての仕事
早大の新人監督(学生コーチ)である杉浦啓斗が、今秋の10季ぶり46度目のリーグ優勝の陰の立役者だ
大学野球には、学生主体の運営が求められる。つまり、監督からの指示待ちで動くような状況では、あまりにも寂し過ぎるということ。早大・
小宮山悟監督は昨年1月の就任以来、学生に自らを律することを追求してきた。
11月7、8日の早慶戦。早大は2試合で1勝1引き分け以上の結果が求められる中、2連勝で10季ぶり46度目のリーグ制覇を決めた。
負ければ慶大優勝という、1回戦の大一番を前に、神宮のネット裏で
徳武定祐氏に会った。ちょうど60年前、1960年秋の「早慶6連戦」では主将、四番・三塁で逆転優勝を経験。今年6月で82歳となった早大の打撃コーチである。試合前のシートノックを見ながら、チームの成熟度について、手応えを語っていた。
「今日も、杉浦が打っていますね。前日(早慶戦は最終カードであり、4年生にとって練習拠点である安部球場での最後の練習日)も、杉浦が打っていた。監督からの信頼があるんでしょうね……。杉浦はよくやってくれた。彼なくして、このチームは考えられない」
杉浦啓斗(4年・早実)は背番号50を着ける学生コーチである。主将・
早川隆久(4年・木更津総合高)、主務・豊嶋健太郎(4年・南山高)と並ぶ幹部の一人として、100人以上の大所帯であるチームを動かしてきた。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言中、厳しい外出制限がある中で、生活拠点の安部寮とその周辺で練習を継続した。寮内の中庭、屋上、ミーティングルーム(講堂)を最大限に活用。杉浦学生コーチが先陣を斬って練習メニューなどを考案し、可能な範囲で最大限の取り組みを実行してきた。
早大では学生コーチを「新人監督」と言う。2年生以下のフレッシュトーナメント(新人戦)ではベンチで指揮する立場も担うことから、伝統的にそう呼ばれてきた。試合前はノックを担当し、試合中は三塁コーチとしてナインを鼓舞する。しかし、これはあくまでも「表」に出てくる部分であり、裏方としての仕事は多岐にわたり、息つく暇はない。
同ポストは当然、選手の道をあきらめないといけない。早大では毎年、2年秋のリーグ戦閉幕までに、学年から1人を選出するルールがあり、夏頃から学年ミーティングを実施して、ふさわしい人材について話し合う。先にマネジャーへ転身した豊嶋主務は明かす。
「もともとはキャッチャーなんですが、打撃練習での捕手など、人が嫌がる仕事も率先してやっていました。学年ミーティングを継続している中で、杉浦は自ら『俺がやる!』と手を上げてくれました。正義感の強い男で、悪いことは悪いとはっきり言える。発言力もある」
「4年生が打たせてくれた」
チームがバラバラになりかけた時期があった。8月開催の春季リーグ戦は3位(3勝2敗)に終わった。タイブレーク(10回以降)で2試合を落とし「チームとしてうまく回らない時期でした」(豊嶋主務)。そこで、立ち上がったのは杉浦学生コーチであり、4年生全員を招集した。安部球場横のクラブハウスで複数回、チームが向かうべき道を話し合った。
「秋へ向けて、もう1回、頑張ろう! と全員で確認し合いました。明るい性格で、誰とでもコミュニケーションが取れる。早川は言うまでもなく能力が高く、背中で引っ張るタイプで、杉浦がチームをまとめ上げてくれた」
杉浦は閉会式で優勝旗を手にした。苦労が報われる瞬間だった。慶大1回戦で勝ち越し2ラン、同2回戦で逆転2ランを放った
蛭間拓哉(2年・浦和学院高)は「ベンチに入れなかった4年生、支えてくれた4年生が打たせてくれた」と感謝を口にした。チームのために、仲間のために、という最上級生のムードをつくり上げたのが、杉浦の発信力にほかならない。小宮山悟監督は言った。
「人のために、となれば頑張りが利くんです。学生たちはことあるたびに、ライトポール際にいる控え部員(早慶戦限定のガイドライン)へ手を振っていた。「かつての石井連藏(小宮山監督の恩師)は、ガッツポーズなんてとんでもない、という方。でも、そこを禁止すると、いまの学生は動かない(苦笑)。仲間のために――と自然と口に出せるようなチームになってきた。立派です」
大学野球は4年生の言動が生命線。常日頃からの最上級生の姿勢が、チームの浮沈を左右することをあらためて証明した。学生主体の運営を結実させた、早大は強く、たくましかった。
文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎