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週べ60周年記念

スペンサーより強かったケンカ屋ラーカーだが、さらに強かったのは……/週べ回顧1972年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

水原監督の思い出の選手たち


表紙は巨人堀内恒夫



 今回は『1972年4月3日号』。定価は100円。

 まずお詫び。日付設定を間違え、初出の日付が前日になっていました。修正し、同じものを掲載します。

 水原茂(巨人、東映、中日の元監督)の連載「私の手掛けた選手群像」から。
 ドジャースから65年東映に入団し、一塁手として2年間活躍したラーカーだ。
 メジャーの実績は十分だったが、かなり気が短かかった。

 東映監督時代の水原は、獲得時、ドジャースのオマリー会長からこう言われたという。
「ラーカーは日本に向いていると思う。ただ非常なファイターで、アンパイアにすぐ突っかかる。そういうときは、お前がすぐ飛び出していって退場を命じられないうちに間に入れ。退場させられると損するぞ」
 ニックネームは「マットドッグ」(狂犬)。ただ怒りっぽいだけではなく、手の甲を骨折しても絶対に休まなかったタフガイだった。

 一度、こんなことがあった。
 西京極の阪急戦、走者二塁。ライト前にヒットを打った阪急の暴れん坊スペンサーが二塁に向かうも、1メートル以上手前で西園寺がボールを捕り、タイミングは完全なアウト。
 しかし、スペンサーはいつものように(?)構わず西園寺に体当たりして、ひっくり返し、その間、二塁走者がホームまでかえってきてしまった。

 チェンジになった後、ラーカーはまずベンチで西園寺に怒った。
「どうしてお前はスペンサーがああいうことをしてきたら、逆に突っかかっていかんのか!」
 さらに今度はスペンサーに向かって怒鳴る。
「汚いことをするな! やるなら俺にやれ。俺にやってみせろ。そして俺がどういう仕返しをするか見てろ!」
 すさまじい剣幕にスペンサーも何も言い返せず、黙ってしまった。

 ただ、誰が強いのかと言えば、最後は水原監督かもしれない。
 三振をした後など、ベンチ前でバットを折ったり、ヘルメットを投げるラーカーに、そのたびこう注意していた。
「三振したからと言って、自分自身の失敗を、ベンチでみんなに当たり散らしてまぎらわすような真似はやめろ。日本のプレーヤーは、そういうことに慣れていないからびっくりする。好ましくないからやめろ」
 さらに注意しても繰り返したラーカーには、こう言った。
「お前には何度も注意している。それなのに、またやるというなら許さない。お前はもうアメリカに帰れ」
 翌日、ラーカーは素直に詫びを入れてきたという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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