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週べ60周年記念

2人の指導者が綱引き? 天才打者・荒川堯は、どんな打者を目指すのか/週べ回顧1972年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

悩める天才打者




 今回は『1972年4月3日号』。定価は100円。

 プロ2年目を迎えたヤクルトの星・荒川堯が苦戦中だ。フォームが崩れ、オープン戦10試合で打率.152と不振が続く。
 早大のスラッガーとして注目され、養父は王貞治の恩師・博。彼の打撃の才能に荒川が惚れ、親御さんにお願いしたものだった。

 69年秋、ドラフトで大洋が1位指名。大騒動の末、1年後に入団し、すぐ三角トレードでヤクルトへ。このあたりは書き出すと長いので省く。
 1年目の71年は、故障もあって成績は今一つ。二軍落ちした際は、三原脩監督の許可を受け、巨人を退団し、浪人中だった荒川博が指導をしたこともある。入団後、二本足にしていた荒川だが、博は早大時代にもしていた一本足打法に戻させた。
博の思いは、王のようなホームラン打者として育てたい、というものだったようだ。

 しかし、2年目となり、三原監督、中西太コーチは「荒川はホームランバッターより足を生かした一番打者がいい」と考え、この年の1月30日、中西コーチが博と会い、「今度はわれわれがやります」と通告した。
 博はそれに同意しつつ、「一本足だけは続けてほしい」と言った。
 
 荒川博、中西とも打撃コーチとしては超一流。だが、武道のように形を重視する博と、基礎は口うるさく言いつつ、さまざまな練習をやっていく中でフォームを固めていく中西流指導は180度違った。
 ただ、荒川流、中西流の2つを学ぶことは決して悪いことではないと思う。 

 三原監督は言う。
「荒川にはスターになる素質がある。時間は少しかかるかもしれませんが、練習熱心だし、やる気もある。そのうち荒川が一人で目覚めてきっと大成します。私はその日を信じ使い続けます」

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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