一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 秘密は指の関節の柔らかさ
今回は『1972年4月10日号』。定価は120円。
元松竹、中日の投手で解説者の
大島信雄のコラムで中日2年目、稲葉光雄が紹介されていた。
日本軽金属から入団し、1年目の1971年は後半だけで6連勝、うち
巨人戦に2勝を挙げ、早くも巨人キラーと言われた。
印象付けたのが、前年の10月3日だった。
中日─巨人最終戦(中日)。39本の巨人・
王貞治には7年連続40本塁打、中日には2位決定がかかっていた。
王は試合前、鬼気迫る様子で1時間の打ち込みをした。
稲葉はこの試合に先発し、王を本塁打どころか無安打に抑え、試合も完封勝利(9対0)。男を上げた。
しかもかわしたわけではない。全身バネのようなフォームから小気味よく胸元に投げ込む真っすぐと、垂直に落ちたカーブの2種類で“攻めた”結果だ。
当時は変化球時代到来とも言われ、すでに真っすぐ、カーブのみの投手は珍しかった。
このカーブの秘密は指関節の柔らかさにあった。親指を手のひら側に折ると、普通なら小指の付け根に向かうが、稲葉はまるで脱臼したかのように手首まで伸びた。この親指でボールを抜く際、鋭い回転を与えるのだという。
のち阪急に移籍。
ロッテ・
落合博満にカーブのクセを見抜かれたが、「ほかに打たれなきゃいい」と、そのクセを直そうともしなかった昭和の怪腕だ。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM