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プロ野球20世紀・不屈の物語

巨人には2人の坂本勇人…80年代の日本ハムを彩った同姓同名の選手とは?/プロ野球20世紀・不屈の物語【1982〜2000年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

86年に“そろい踏み”


日本ハムでともにプレーした投手の田中幸雄(左)、野手の田中幸雄(右)


 この2020年のドラフトで、巨人が育成ドラフト6位で唐津商高から捕手の坂本勇人を指名して話題を呼んだ。言うまでもなく、通算2000安打を達成したばかりの坂本勇人と同姓同名のためだ。20世紀を知るプロ野球ファンなら、奇しくも当時、巨人と後楽園球場で“同居”していた日本ハムに、やはり同姓同名で活躍した2人の選手がいたことを思い出したことだろう。彼らの名は(?)、田中幸雄。1人はドラフト1位で1982年に入団した投手、もう1人はドラフト3位で86年に入団した内野手で、こちらは21世紀に入って北海道へ移転してからもプレーしていたから、20世紀を知らない若いファンにも知っている人はいるかもしれない。

 ただ、やはり当時は、姓名の読みだけでなく漢字まで同じ、さらに同じ時期には投手に田中富生もいて、かなり紛らわしかった。ニックネームは、投手の田中幸雄は身長190センチという長身でもあり“オオユキ”、内野手の田中幸雄は決して小柄ではなかったものの“コユキ”。近年であればスコアボードも“オオユキ”“コユキ”になる可能性もありそうだが、このときは投手が“田中幸”、野手が“田中雄”と書き分けられていた。ここでも当時のスコアボードにならって書き進めていきたい。

日本ハムでノーヒットノーランを達成した田中幸


 流山高で1年ほど経験があったというが、田中幸が投手に転向したのは社会人の電電関東でのことで、それまでは内野を守っていた。この転機がなければ、前述の説明が成立しないほど紛らわしかったことになる。都市対抗や日本選手権での活躍で注目されて入団すると、即戦力となって先発に定着、5勝を挙げた。翌83年は故障もあって出遅れたものの、一軍に復帰すると6連勝、翌84年には開幕投手にも。その翌85年も5月まで白星がなかったが、日本ハムが西武郭泰源にノーヒットノーランを喫した5日後、6月9日の近鉄戦(後楽園)でシーズン初勝利をノーヒットノーランで飾り、チームの名誉を挽回。プロ4年目にして申し分ない実績を残していた。

 都城高2年で春夏連続甲子園出場の田中雄がドラフトで指名されたのは、そのオフのことだ。初めて両雄が並び立った(?)86年。それまでは先発がメーンだった田中幸がクローザーに転じて安定感を発揮すると、田中雄は高卒ルーキーながらプロ初安打を本塁打で飾り、翌87年には遊撃の定位置を手にする。ただ、プロ入りは4年の違いながら、両者には9学年の差があった。田中幸は30歳で迎えた87年から登板機会を減らしていき、まだまだ若い田中雄は、その後も日本ハムの中心選手として成長を続けていく。だが、その道も決して順風満帆というわけではなかった。

“コユキ”あらため……


北海道移転後の2007年までプレーし、2000安打も達成した田中雄


 遊撃といえば内野の要だが、87年の田中雄はリーグ最多の25失策。のちに田中雄は「なんで僕を使うのか不思議で仕方なかった」と振り返っているが、高田繁監督は我慢して使い続け、しだいに安定感を身に着けていく。中日から移籍してきたベテランの大島康徳にも触発され、打撃も進化していった。だが、90年に中日へ移籍していた田中幸が故障もあって一軍登板のないまま91年オフに現役を引退すると、翌92年は田中雄が故障により代走で出場した開幕戦の1試合のみの出場のみに終わる。だが、このアクシデントは、ユーティリティー的な横顔も持つ中心選手という独特な存在感を築くための“産みの苦しみ”だったのかもしれない。

 外野手として再起に懸けた田中雄は、94年に自己最多の27本塁打、87打点と完全復活。遊撃に復帰した95年には四番打者も任され、80打点で打点王に。守っても339守備機会無失策の金字塔を打ち立てた。96年には通算1000安打を突破して、97年にはプロ野球3人目となる全打順本塁打の快挙。98年には“ビッグバン打線”をリードオフマンとして引っ張った。ちなみに、この“ビッグバン打線”が公募で命名されたのは7月だったが、そこから打線は急失速。バブル崩壊を経て景気の低迷が続いていた時期、当時の金融制度改革は「金融ビッグバン」と言われていて、上田利治監督も「銀行と同じ貸し渋りだな」と苦笑い。

 なかなか明るい未来の見えない時代だったが、田中雄は攻守に不可欠な存在のまま、20世紀を終えた。そして2007年。日本ハムひと筋22年、2205試合、39歳5カ月で通算2000安打に到達した田中雄は、オフに現役を引退する。そんな“ミスター・ファイターズ”は、引退までに、すべての打順、バッテリーと二塁を除く全ポジションを経験していた。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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