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清原和博が「球筋が藤川球児に似ている」と衝撃を受けた通算45勝右腕は

 

センバツで清原から3奪三振


西武時代の渡辺。力強い直球が武器だった


 今年限りで現役引退した阪神藤川球児は手元で浮き上がるような球質の「火の玉ストレート」が代名詞だった。セットアッパー、守護神で活躍した全盛期は直球だと分かっていても打てない。「漫画の世界」を具現化したような直球でファンを魅了してきた。

 その藤川と対戦した清原和博が、片岡篤史のYouTubeチャンネルに出演した際に「球筋は藤川球児に似てる」と高く評価した同学年の右腕がいた。清原がPL学園高時代に対決して3三振を喫し、西武でチームメートになった渡辺智男だ。

 渡辺は高知県佐川町出身。イチゴ栽培などを手掛ける農家の子どもだった。中学時代に右ヒジを剥離骨折したため、投手はしないという条件付きで伊野商高に進学する。しかし、流れるような美しい投球フォームから剛球が繰り出される金の卵はマウンドで投げるのが運命だった。2年秋にエースナンバーをつけ、3年春のセンバツに出場。甲子園出場は同校初の快挙だった。チームの目標は1回戦突破。無名校で注目度は高くなかったが、1回戦・東海大浦安高に5対1で快勝すると、快進撃を続ける。準決勝で立ちふさがったのが四番・清原和博、エース・桑田真澄の「KKコンビ」を擁するPL学園高だった。

伊野商高時代の渡辺。エースとして85年センバツで優勝を飾った


 戦前は優勝候補・PL学園高の圧倒的有利だったが、渡辺が衝撃の投球を見せる。清原から2回に内角の直球で空振り三振を奪うと、4回の対戦でもフルカウントから真ん中の直球で空振り三振。伊野商が3対1と2点リードのまま試合終盤に進み、球場がざわつく。8回の清原との最後の対戦。スライダー、直球で空振りを奪うと、3球目の146キロ直球で空振り三振。清原がバットを叩きつけて悔しがる。メガネをかけた無名の右腕が超高校級スラッガー・清原から3奪三振でPL学園高を撃破する番狂わせ。決勝・帝京高戦でも自ら本塁打を放ち、13奪三振の完封勝利で全国制覇を飾った。

 3年夏は県大会決勝戦で高知商高に敗れて甲子園出場はならず。社会人野球・NTT四国を経て西武にドラフト1位で入団。伝説の名勝負を演じた清原とチームメートになる。プロ入り前から悩まされていた右ヒジ痛で1年目は開幕二軍スタートだったが、5月に一軍昇格すると150キロを超える速球、キレ味鋭いスライダー、縦に割れるカーブを武器に2ケタ勝利をマークする。

 2年目は開幕から先発ローテーションに入り5連勝。同年の球宴で渡辺と対戦した当時阪神の岡田彰布が、「与田剛野茂英雄よりも渡辺のほうが速球の力が上だった」とうなった。自己最多の13勝をマークし、日本シリーズ第3戦は春の甲子園以来の桑田真澄との投げ合いで史上8人目の初登板初完封を飾った。

ダイエーに移籍も復活できず


 91年も新人から3年連続2ケタ勝利となる11勝7敗、防御率2.35で最優秀防御率を獲得。92年も前半戦で7勝と順風満帆に見えたが、後半戦に入って突然ストライクがまったく入らない状態になる。未勝利に終わって右ヒジ痛も再発した。制球の悪化は持病の腰痛をかばってフォームが崩れたことが原因と考え、修正を繰り返したが改善しない。93年は一軍昇格どころか、ファームでも四球で走者をためて痛打を浴びる。1年前までの活躍を考えれば信じられない光景だった。入団以来初の一軍での登板なしに終わり、同年オフに秋山幸二内山智之とともに大型トレードでダイエーに移籍した。

 だが、新天地でも輝きは取り戻せなかった。移籍1年目は4勝9敗。2年目から3年連続未勝利に終わる。サイドスローにフォーム改造したが結果が出ない。97年オフに西武に金銭トレードで復帰したが、98年は一軍登板なしで現役引退した。プロ4年目までに41勝をマークしたが、その後の6年間で4勝のみ。通算45勝40敗2セーブ、防御率3.73。引退後は西武のスカウトに転身し、20年経った現在も金の卵の発掘に全国を奔走している。

写真=BBM
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