一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 阪急・山田久志との見ごたえある投げ合い
今回は『1972年4月24日号』。定価は100円。
1972年4月9日の開幕戦。セに続いてパもピックアップする。
パ・リーグの阪急は西宮で南海とダブルヘッダーが組まれたが、見事連勝スタートとなった。
1戦目の主役は42歳の
スペンサーだ。南海バッテリーの外角攻めと、風がライト方向へふいていたことから右中間に狙いを定め、ホームラン。
人気者だけにダイヤモンド1周では盛大な拍手が送られた。
「ファンから拍手されるとファイトが出る。うれしいよ」
とスペンサー。
野村克也捕手には申し訳ないが、写真を見ると、かなりの太目。むしろ内角のほうが打ちづらかったのでは、とも思った。
スペンサーはこれで通算149号だ。150本目については、
「近鉄の鈴木から打ちたいね」
とニヤリ。
鈴木啓示は昨年スペンサーにカモにされ、スペンサー対策としてチェンジアップ系の新球種を覚えたと話題になっていた。
2試合目は、阪急の
山田久志に対し、南海は東映から移籍1年目、まだ一軍勝利のない江本孟紀を先発起用。オープン戦4勝1敗の好調さを買っての抜てきだった。
試合は山田が7回二死までノーヒットという完ぺきな投球を見せ、延長13回の完封勝利。
「スタミナは心配ない。それよりノーヒットノーランを狙っていたんで残念です」
と話していた。
この試合で山田とともに男を上げたのは江本だった。山田と最後まで投げ合いながら、最後は押し出しの死球で敗戦投手になった。
「三振を取ってやろうと思って投げたカーブが死球になった。ただまあ、これで何とかやっていけそうという自信がつきましたよね」
と笑顔。
試合後、野村監督は「予想どおりの連敗やな」とぼそりと話した。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM