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空振りした球が体に当たる…スライダーのキレがすごかった「最強リリーバー」は

 

リーグ優勝に大きく貢献


左サイドから抜群のキレ味を投げ込んだウィリアムス


 空振りした球が体に当たる。プロ野球の世界で漫画のようなことが起きるほど、スライダーのキレ味は鋭かった。2003、05年と阪神のリーグ優勝に大きく貢献したセットアッパーのジェフ・ウィリアムスだ。

 豪州生まれのウィリアムスはベルコネン高時代にキャンベラのクラブチームに所属。本格派左腕としてメジャー・リーグの関係者から評価され、アメリカ留学を進められる。サウスイースタン・ルイジアナ大学に進学すると、4年時に全米大学リーグのナショナルチームに選出された。1996年のアトランタ五輪で豪州代表に選出され、予選リーグ・日本戦で救援登板して勝利投手になっている。

 ドラフト外でドジャースに入団し、99年にメジャー昇格。豪州出身で9人目のメジャーリーガーとなったが、目立った成績を残せず。当時はオーバースローだったが、01年のシーズン終盤にジム・コルボーン投手コーチの助言を受けてサイドスローに転向する。このフォーム改造が野球人生の転機になる。02年にドジャース傘下3Aラスベガスでリーグ最多の28セーブをマークし、同年オフに阪神に入団が決まった。

 入団当初はセットアッパーとして起用されていたが、同じく新外国人で加入したルー・ポートが不調だったことから、急遽守護神に。52試合登板で1勝1敗25セーブ、防御率1.54と期待に応える活躍でリーグ優勝に貢献した。05年からセットアッパー専任に。藤川球児久保田智之とともに、「JFK」と呼ばれる勝利の方程式で再び優勝に導く。外国人年間最多登板の75試合登板で3勝3敗37ホールド、防御率2.11。07年は60試合登板で1勝2敗42ホールド、防御率0.96と現行のホールドポイント制になって最初の100ホールドポイントを達成した。

 左サイドから150キロ近い直球とキレ味鋭いスライダー。制球力も抜群で相手球団は対策を練っても攻略できなかった。当時指揮官だった岡田彰布監督が「彼のすごかったのはスピードとキレ。特に右打者へのインコースのスライダーは威力抜群で、空振りした後、ボールを体にぶつけるバッターが続出。それほどのキレがあった」とうなるほど。7回以降に「JFK」が登場すると、相手チームは逆転が不可能に近かった。ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏は「いつから野球は6回までになったんや」とぼやいた。

守護神にこだわりなし


最強リリーフトリオの「JFK」


 ウィリアムスは人格者であることでも知られた。来日1年目の03年に守護神でリーグ優勝に貢献したが、岡田監督の判断で05年にまだ実績がなかった久保田を抑えに抜擢した。だが、フォアザチームを大切にする助っ人は「最善の策だと思う」と快くセットアッパーを引き受けた。15年に行った週刊ベースボール編集部のインタビューでは以下のように語っている。

「入団3年目で自分に余裕も生まれていたから、チームとして何が大切か考えられるようになっていた。周りが思うほど、クローザーという役割にこだわりはなかったんだ。実は04年に感じていた。8回に左打者が来て、9回に右打者が来るのが分かっているのに、なんで私が8回に投げないんだろうって。役割にこだわり過ぎても意味がないんじゃないかって。8回だって9回だって重要さは同じ。アウトを取らなければ勝てない。だからこそ、右腕の藤川と左腕の私がセットアッパーとして状況に応じてマウンドに上がれるのは、チームにとって大きな強みになると思った」
 
 06年オフにはメジャーの球団から獲得のオファーが届いたが、藤川、矢野燿大金本知憲らチームメイトに引き留められて感動。阪神への大きな愛情から残留を決断した。

 左肩痛で一軍登板なしに終わった09年限りで退団。球団を通じて、「甲子園球場で投げるときのタイガースファンの素晴らしい声援、あのサポートは日本を離れた今でも心に残っています」と感謝の思いを発表した。来日通算371試合登板で16勝17敗47セーブ141ホールド、防御率2.20。現役引退後は阪神の駐米スカウトとしてチームを支えている。

写真=BBM
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