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週べ60周年記念

ONから慕われていた中日・与那嶺要監督/週べ回顧1972年編

 

 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

川上は永遠のライバル


前列中央が巨人時代の与那嶺。後列にONも


 今回は『1972年5月1日号』。定価は100円。

 セ・リーグは開幕から巨人、阪神がつまずき、6連勝の中日が台風の目となっていた。
 率いるは与那嶺要新監督。日系アメリカ人で、巨人時代はチームメートの川上哲治と何度も首位打者争いを演じたが、60年オフ、川上が監督就任の際に自由契約となり、中日に移籍した。
 62年限りで引退。翌年からコーチとなり、66年から3年間のロッテコーチを挟み、かつての恩師・水原茂監督の招きで中日に復帰、この72年から監督に昇格した。
 現役時代のプレースタイルはアグレッシブだったが、ふだんは笑顔をたやさぬ温厚な人物。監督就任時、選手、マスコミに「監督と呼ばず、ウォーリーと呼んでほしい」と言い、さすがに若手は呼べなかったが、ベテランやコーチはウォーリーと呼んでいたという。

 ただし、巨人、川上監督に対する思いは強く、コーチ時代はそうでもなかったが、監督になってからは、時に感情をむき出しにした。
「やっぱり勝ちたいよ。巨人をクビになったとき、はらわたが煮えくり返ったからね。カワさんに恨みはないが、一生ライバルだと思うよ」
 と話していた。

 ただ、実はONに話を聞くと、与那嶺監督に関しては、いい話しか出てこない。
 長嶋は言う。
「あの人こそ本当のプロです。いまでこそ多摩川の特訓は当たり前になっているけど、当時、調子が悪くなると多摩川に行って、打ち込みをやるというのは、与那嶺さんが初めてやったんですよ。うちの特訓の元祖になりますね」
 王は言う。
「子どものころ後楽園にしょっちゅう行って、巨人の試合を見たんです。あのとき、スタンドから手を出して選手出口のところで与那嶺さんにサインをしてもらった。ほかの人はしてくれなかったけど、あの人だけはしてくれた」

 では、また月曜日に。

<次回に続く>

写真=BBM
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